文学評論、内田百閒、ちくま文庫の全集、整体、東洋医学の本を買受。他、宇宙兄弟、ハンターハンター、スラムダンク完全版、ビジネス書、実用書、進撃の巨人、聲の形、からくりサーカスを東京西部と千葉市美浜区のお客様より即日で買受しました
お客様に「私はいかにハリウッドで、100本の映画をつくり、しかも19セントも損もしなかったか(ロジャー・コーマン自伝)」を譲っていただきました!
デニス・ホッパー、ジャック・ニコルソン、ロバート・デニーロ、ジェームズ・キャメロン、フランシス・フォード・コッポラ、マーティン・スコセッシ、ガス・ヴァン・サント、スピルバーグ・・・現在もハリウッドで活躍するそうそうたる映画監督、俳優たち。
彼らは、ロジャー・コーマンの元でキャリアをスタートさせたり、映画にかかわったりしました。「B級映画の帝王」と呼ばれたロジャー・コーマンは、若くて熱意はあるが、経験も、撮る現場もない若手を低予算映画の製作にどんどん起用し、大手映画会社ではできない映画製作の場を用意しました。コーマン自身も約50本監督を務めました。
しかしその映画製作の現場は普通じゃない!まずとにかく金がない!(でも金はしっかりかせぐ!)若いころはスイスで購入したライカを売りさばき資金を作ったり。他の映画のセットを使いまわすのは当たり前、派手な車の爆破シーンは他の映画でも使いまわし、資金はないが素材はある!というので、バラバラな映画のシーンをつなぎ合わせて一本映画をつくったり。(今でいうヒップホップのサンプリング感覚!)
しかしそんなむちゃくちゃなところから叩き上げで彼らは巣立ち、現在の映画界の第一線で今も活躍してます。エクスプロイテーション映画(観客から搾取するという意味で)、B級映画と揶揄されるように評価されることの方が多いロジャー・コーマンですが、いつだって主流ではない、カウンターな場所やインディペンデントな場所から次の時代の息吹が生まれてくることは間違いない。それはアメリカだけでなく、日本でも、アジアでも、どこでも同じでしょう。
カウンターカルチャーの代名詞ともいえるアメリカンニューシネマ。その中で最も有名ともいえる一本の映画はロジャー・コーマンがいなければつくられなかった。
LSDの感覚をもとに作り上げた1967年の「白昼の幻想」は監督ロジャー・コーマン、脚本ジャック・ニコルソン、主要キャストにピーター・フォンダとデニス・ホッパー。https://youtu.be/-o6lKLTzcpc
そこで出会ったピーター・フォンダ、デニス・ホッパー、ジャック・ニコルソンが1969年につくりあげたのが、
アメリカン・ニューシネマの代名詞「イージー・ライダー」https://youtu.be/J1cDECkN2xg
ロジャーと「イージー・ライダー」のあいだにはあきらかにつながりがある。よし、ロジャーならこれをどうやるだろうか?ぼくはいつもそう考えていた。ロジャーは、彼自身は意識していないが教師だった。チャンスをあたえられたら、どれだけのことをやってのけるか、それを実例で身をもって教えた。いつも冷静沈着だった。「イージー・ライダ―」の撮影中、デニスが冷静沈着でいたことはなかった。信管がたたかれてから弾が発射されるまでの状態をハングファイアという。「イージー・ライダー」はデニスとぼくにとって、芸術的な意味でのすばらしいハングファイアだった。困難に直面しても冷静でいるロジャーを見ていなかったら、きっとぼくは撮影中に冷静でいることができなかっただろう。
ピーター・フォンダ
BORN TO BE WILD!!!!!!!!!!!
タテ
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