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お客様から『エドワード・ヤン 再考 再見』フィルムアート社 をお譲りいただきました。
エドワード・ヤン 楊徳昌

最も好きな監督は?と聞かれたら、エドワード・ヤンは最初に浮かぶ何人かの一人であることは間違いありません。イメージフォーラムで観た『恐怖分子』には震えるほど感激しましたし、今年長い時を経て初公開された『台北ストーリー』にも初日に駆け付け、『牯嶺街少年殺人事件』は映写機からスクリーンに光があてられて、無数の観客の後頭部のシルエットが浮かんだ時にはもうその時点でうるうるとしてしまいました。

2007年に59歳の若さで亡くなったエドワード・ヤンがもし生きていたらどんな映画を撮ったんだろうと最近よく考えます。


2011年ころ、シネコン等で上映される日本映画にどうしても満足できず、インディペンデントで製作された映画をうろうろと探しているときに、【空族】というチームで映画を製作している、富田克也監督の『サウダージ』や『国道20号線』、『雲の上』と出会い「こんな映画を日本でもつくれるのだ!」と感激して二日連続で3作品をぶっ通しで見続けました。
彼らは平日は長距離トラックのドライバーとして平日はロケハンをしながら働き、土日には地元の甲府で撮影をしました。その富田監督が空族の映画と併映で企画上映をした中に、タイのアピチャッポン、中国のジャ・ジャンクー、ポルトガルのペドロ・コスタ、日本からは柳町光男などがあり、台湾のエドワード・ヤンもそこで初めて出会いました。

エドワード・ヤンは1947年に台湾で生まれ、アメリカに留学し帰国後に映画を製作しました。『非情城市』でヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞を獲ったホウ・シャオシェンと並んで台湾ニューシネマの騎手として注目されましたが、代表作の『牯嶺街少年殺人事件』は権利の関係で1998年のリバイバル上映以降、映画館で再上映出来ず未DVD化のままでしたが、どうしても観たくて、新宿の某レンタル屋にビデオを借りにいったことを覚えています(渋谷、新宿、池袋、代官山など都内にはまだVHSをレンタルしている店舗がいくつかあるのです)。本作は全編236分の長編です。

マーティン・スコセッシが設立したフィルム・ファウンデーションとクライテリオン社が共同で行ったフィルム修復事業により、「4Kレストア・デジタルリマスター版」として『牯嶺街少年殺人事件』 は甦り、日本でも2016年10月に東京国際映画祭でプレミア上映、2017年に25年ぶりに公開されました。

エドワード・ヤンは都会で映画を撮り続けました。(『牯嶺街少年殺人事件』だけは郊外のような雰囲気が漂ってはいますが)ある癒しとしての田舎と都会という構図にも逃げ込まず、都会で生きる人間たちを過剰に情を持った距離でもなく、冷酷に突き放すこともない距離にカメラを固定で置いて。
今でも覚えているのが遺作となった『ヤンヤン 夏の想い出』の中で、数人が結婚式の打ち上げで騒ぐ部屋の中を、じっと見つめるような絶妙に近くもなく、遠くもない固定で撮られたショットに、最初は、「なんて意地悪なんだ!」と苦笑していたのですが、しばらくすると身の内が震えてきて涙がボロボロと零れてしまいました。決して迎合しない、でも馬鹿にはしないその誠実さをショットに観たのです。

狂乱の、孤独な、変わり続けていく都会を、そこに生きる群像を、ニヒリズムに陥ることなくエドワード・ヤンは撮った。もし彼が生きていたら今、都会はどう映るのでしょうか。

牯嶺街少年殺人事件』は現在も劇場にかけられており、10月26日~28日には池袋新文芸坐で公開されます。この機会にぜひいかがでしょうか。

映画 『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』予告編

この世界がすでに天国だということを取り逃がすときに、わたしたちのあれやこれやの問題が始まる。              エドワード・ヤン



くまねこ堂では、洋画、邦画に限らずアジア映画(ジャ・ジャンクー、アピチャッポン、エドワード・ヤン等)、またパンフレット、映画本も買い取っております。

タテ


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