東京裁判傍聴の証 「極東国際軍事裁判所法廷席図解」をお譲りいただきました!
先日の買取で珍しい史料をお譲りいただくことができました。その中から、本日3月23日のある出来事に関わるものを中心にご紹介していきます。
その出来事というのは1945年3月23日のことです。太平洋戦争の末期に米軍が沖縄に上陸したことを受け、日本軍はひめゆり学徒隊に動員を命じました。ひめゆり隊はご承知のとおり、軍隊の看護のために訓練を受けていた女子学徒隊です。その後に起きた悲劇を思うと胸が痛むとともに、なぜそのような悲劇が起きたのか、責任を負うべきは誰であったのか、あらためて振り返る必要を感じさせます。
実は、お譲りいただいた史料の中に、「極東国際軍事裁判所法廷席図解」という、東京裁判(1946年5月3日~1948年11月12日)の傍聴に際しての施設の配置や注意事項を記載した案内がございました。そこには、「一月五日午後傍聴」と筆で書き込みがあります。傍聴された方は、どのように戦争の悲劇に思いをはせ、そして戦争責任の問題に向き合っていたのでしょうか。
くまねこ堂では現在、島内竜起『東京裁判弁護雑録』(1973年)(https://amzn.to/3bbm0B4)を出品中です。ご関心がございましたら、ぜひお求めいただけますと幸いです。
上記の関連でいえば、敗戦当時は11歳の皇太子であった明仁上皇は、皇太子そして天皇として戦災の慰霊の旅を続けてこられたことで知られています。この慰霊の旅に直接関係するわけではないですが、以下の画像のような皇室の儀礼に関する文献もお譲りいただきました。
以下の画像は、1917年に開校した日本美術学校の学則です。卒業生には『のらくろ』の作者として知られる田川水泡がいます。田川は徴兵の期間を終え、1922年に日本美術学校に入学しました。この経験は、落語作家であった田川が漫画家としてもデビューすることになったきっかけをつくりました。
当時としてはありふれたものであっても、現在からみれば貴重で興味深い史料であることもございます。くまねこ堂では古本やコミック、CD・DVDなどのご整理はもちろん、古道具・骨董品などの買取も行っております。ご遺品整理などでお困りのお客さまも是非お申しつけ下さい!
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小野坂
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