民族学者の吉野裕子の著作を収めた、『吉野裕子全集』第8巻(人文書院、2007年)が入荷しました!~生が主体で、死が客体というのは、実は反対の関係!?
先日、神奈川県相模原市のお宅に買取にうかがいました。創元推理文庫、サンリオSF文庫、ハヤカワSF、ムック本をお譲りいただきました! ありがとうございます!
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新型コロナウイルスの感染状況について、実態がつかめないまま緊急事態宣言が解除されることとなりました。日本においては、幸いにして感染爆発が起きなかった何らかの要因があるのかもしれません。しかし、ちょうど百年前に日本でインフルエンザが第2波で大流行したときのように、新型コロナウイルス蔓延の第2波がないとは断定できません。いずれにしても、コロナ以前の生活に復帰するという構えではなく、目の前に現実に対応する中で新しい発想にいたるきっかけをつかんでいくしかないのでしょう。
コロナ以前の生活に容易に戻れないと考えるのは、人間社会の根幹ともいうべき、死者の弔い方に異変が起きているからです。「肺炎で亡くなったけれど検査が行われず感染の有無が分からない人の葬儀をどうしたらよいか、葬儀会社や遺族が頭を悩ませて」いる様子が、NHKで報じられています。
※新型コロナウイルス 葬儀の現場に異変 苦悩する現場(NHK WEB NEWS、2020年5月27日)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200527/k10012447061000.html
死者の弔い方の変化という点でも、百年前の出来事を振り返る必要があります。第一次世界大戦の戦死者は、それまでとは違った形で埋葬されることになりました。なぜかというと、兵器の進化、とりわけ化学の発展により爆薬が強力になったことによって、誰なのか特定できないほどに戦死者の身体がバラバラになってしまったからです。すなわち、特定の個人を弔うということができず、頭蓋骨の墓、大腿骨の墓、という顔の見えない集団として埋葬するしかなくなってしまったのです。
※藤原辰史『戦争と農業』(集英社インターナショナル、2017年)
このように第一次世界大戦を通じて、人類は死者個々人を、戦争を遂行する国家の歯車のひとつとしてしか弔えないような時代に突入したのです。このことは、これ以降の歴史で問題となる政治体制、経済政策の暗部である組織化の弊害や自由に対する抑圧と無関係ではないように思われます。
そこで、今回は、人間の生死をどのように考えるかについて、「鬼」とは何か、ということを論じた下記の本を紹介したいと思います。
民族学者の吉野裕子の著作を収めた、『吉野裕子全集』第8巻(人文書院、2007年)が入荷しました。ここで取り上げるのは本巻所収の『神々の誕生』(1990年)の「鬼」関する論考(1984年から1988年にわたって発表されたものを採録したもの)になります。
その中でも、「人間と鬼」という項目から興味深い一節を下記に引用してみます。
「人間には死があり、死によって人間はその形を失う。形あるものと、形のないものは同一ではなく、当然区別されるべきものである。つまり死者と生者は互いに異次元のもので、それが人と鬼という差別になる。〔中略〕
生死の軸によって生者と死者に分かたれる人間は、そのいずれかが主体であり、客体なのであろうか。私どもはとかく生が主で、死が客のように考える。しかし、」
…と改行の上続いていきます。さらに読み進めていけば、これまでなんとなく考えていたような死生観に転換を迫られることでしょう。また機会があれば、より勉強した上でこの話題についてふれてみたいと思います。これからの時代を生きるヒントが、意外な形で出てくるような気がしています。
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