1964年の首都高開通!当時のオープニングセレモニーの冊子が入荷しました。
本日は千葉県浦安市のお客様より、切手、中国切手、1960年代映画パンフレット、SF、ハヤカワ、創元推理文庫等をお譲りいただきました!
ありがとうございました!!
そんな中で、毎日くまねこ堂がお世話になっている(笑)首都高の、
なんと開通記念の冊子をお譲りいただきましたのでご紹介させていただきますっ!!!
1964年、東京オリンピックが開催される約2か月前、日本初の高速道路が開通しました。
ビルとビルの間や、首都の頭上を縦横無尽に交差する高速道路は、
当時としては”未来的都市”のイメージを連想させる、
大変画期的な光景だったのでは、と思います。
実際、日本の首都高が大きなインスピレーションを世界のクリエイターに与え、SF映画などで未来を描いた作品の背景モデルとなったというお話も聞きます!
こちらの記念冊子には、
主に首都高速線の工事に関する概要や構造が記録されていました。
↑右の写真2枚は1号線の羽田空港あたりと東品川付近なのですが
な~~~んにも、ねぇべや~~~~!!(笑)
「羽田空港までドライブデートしようぜ❤」みたいなヤングの会話は
この時点ではまだ「無」だったんだろ~~な~~~~!!
開通当時の首都高マップもありましたよ!
開通当初はオリンピックで使用する事を前提としていたからでしょうか。
競技場などがある主要地域までに先ずは道を伸ばす!といった感じだったのでしょうか。
※首都高の計画は元々あり、オリンピックを前提としたスタートではなかったという説もございました。この記事はあくまでも憶測です!ご容赦下さいませ。
現在の首都高のマップを首都高ドライ―バーズサイト様より抜粋させていただきましたので、
比較してみましょう!
こうして比較してみると、現在はかなりの密!ですね~~!
首都高の枝分かれがどんどん複雑さを増しています。これは、地方で免許を取ったドライバーからするとですね、、、いつも思うのですが、、初見殺しがありすぎて泣きたくなります。
便利ですけど、道知らないとうまく活用できねぇ~~~(笑)
高速道路走行上のご注意・・・を読んでみてわかったのですが、高速道路って元々は全部片側2車線で統一だったんですね!私が大好きな湾岸線のあの広~~い片側車線は、結構新しいのですね。
最後に詩人の長谷川龍生さんが首都高開通に寄せて書かれた詩が掲載されていましたので、
ご紹介させていただきます。
「道は全てに通じている」というような名文句が世界には多々ありますが、
現実的にも精神的にも、確かに何かと何かを繋ぎ、
発展させるものとして「道」は紀元前から偉大な産物ですね。
これからも出張買取ではお世話になります。
どうぞ末永く、これからもよろしくお願いいたします。
かこさん
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