E・F・シューマッハー『スモール イズ ビューティフル再論』酒井懋訳(講談社学術文庫、2000年)が入荷しました! 前著の『スモール イズ ビューティフル』はもう売れました!
いつもくまねこ堂ブログをご覧いただきありがとうございます。今回は、ベストセラー文庫本の中から、ある一冊を紹介します。
E・F・シューマッハー『スモール イズ ビューティフル再論』酒井懋訳(講談社学術文庫、2000年)です。本書は経済学者のシューマッハーが1966年から1977年に『リサージェンス』誌に発表した論文を編集したものです。
E・F・シューマッハーは、Amazon商品説明欄によれば、「1911年ボン生まれの経済学者。オックスフォード大学に学ぶ。戦後英国に帰化。英国石炭公社顧問として早くから石油危機を予言した」人物です。たしか、前著『スモール イズ ビューティフル』には詳しい訳者解説と年譜が付されています。「オックスフォード大学に学ぶ」とありますが、シューマッハーは1929年世界大恐慌後の経済問題についての研究で、『平和の経済的帰結』(1920年)、『雇用,利子および貨幣の一般理論』(1936年)で知られるJ・M・ケインズに師事していたはずです。残念ながら『スモール イズ ビューティフル』はすでに売れてしまったので、そのことを確認できません。
『スモール イズ ビューティフル再論』には『リサージェンス』誌の編集者、サティシュ・クマールの「まえがき」が付されています。そこには『スモール イズ ビューティフル』というタイトルの由来や、シューマッハーの主たる問題関心が記されています。クマールはシューマッハー自身から、『スモール イズ ビューティフル』について、次のような説明を受けたといいます。
シューマッハー「工業の発展と技術の進歩は規模の経済に気をとられている。その結果、巨大な官僚制、大企業と大工場が成功の象徴と見られるようになった。ところが、現実に何が起こったかといえば、物事が規則にしたがっておこなわれ、人間関係は二の次になってしまった。巨大技術は人間性に反するが、大組織も同じです……経済学というものは、人間の価値、さらには人間の霊的成長に奉仕すべきものです。私見では、組織がある規模を超えると、それができなくなる。」
だからシューマッハーは『スモール イズ ビューティフル』とのタイトルを選んだのだと熱弁したのですが、クマールは、シューマッハーのようなオックスフォード大学卒、ロンドン・タイムス紙や国有産業関係者の経済学者の口から、「小さいことはすばらしい」と発せられたことに衝撃を受けたとのことです。
私は、シューマッハーが上記のように述べたことについては、そこまで意外ではありませんでした。規模の経済が人間の価値を脅かすのではとの問いは、そのような経済体制をフル活用した第一次世界大戦(1914-1918)の惨劇を経て、経済思想上の重要なテーマになっていたからです。たしかに、経済の大規模化は20世紀前半の重厚長大の工業が全盛の時代では、効率化をもたらすものとして歓迎されました。しかしながら、その渦中で組織の弊害が、人間の自由と平等を再興するという観点から問題視されることになったのです。そうした組織化批判の重要な先達が、イギリスのキリスト教社会主義者、歴史家のR・H・トーニーなのですが、もしかするとシューマッハーのいう「経済学というものは、人間の価値、さらには人間の霊的成長に奉仕すべきもの」という見方は、トーニーに由来するのではないか?と私は感じました。
実際、シューマッハーがトーニーの著作に言及した部分があります。手元にあったメモから、『スモール イズ ビューティフル』訳書349頁の文章を引用します。
「所有権というものは、単一の権利ではなく、権利の集合体である。『国有化』とは、単にこの集合体を甲から乙へ、つまり個人から『国』に移す―その意味するところは別として―ことではない。国有化とは、この複数の権利が、今までは私的所有者といわれる人に一括して帰属していたのを区分けして、個々の権利をだれに与えるかを厳密に決めることなのである。そこでトーニーは簡潔に『国有化とは憲法制定の仕事と同じである』(※)と述べている。」
(※)R・H・トーニー『獲得社会』の第7章C節からと思われる。
ここでシューマッハーが主張しているのは、私的所有権を国に移して公的財産とし、その上でどのように分けるのかを民主的に決定する、ということです。その際にシューマッハーは、国有化が陥ってしまいがちな過度の国家管理を否定するために、トーニーを引用しているのです。
私有財産を認めないが、過度の国家管理も否定するというのは、矛盾しているようにも読めます。しかし、シューマッハーは規模の問題を考える際の心構えを、次のように述べています。
「規模の問題をもう一つ別の観点から眺めて何が本当に必要なのかを考えてみよう。およそ実社会では、一見矛盾・排斥しあう二つのことが同時に必要なようである。」
このように、一方に左袒して他を排斥するような考え方ではなくて、矛盾を自らに抱え込んで、対立の一歩先を考える姿勢が、シューマッハーの著作に表現されています。この点もトーニーとの共通点として指摘できますし、トーニー周辺のキリスト教社会主義者にも当てはまります。シューマッハーもキリスト教の新約聖書をしばしば引用しますが、もし彼の研究分野を宗教経済学と呼ぶのであればどうでしょうか。トーニーの継承者はシューマッハーであるとみなして良さそうな気がしてきます。なお「もう一つ別の観点から」などと、蛇足のフリをして一番大事なことに突入するのは、トーニーの芸風でもあります。これは、新約聖書ルカの福音書10;42の「もう一つの大事なこと」を元ネタにした、小粋なジョークです。
シューマッハーについては、1973年の石油危機を狙いすましたかのように、石油に依存する先進工業国の経済や途上国の開発援助を批判していたことで、記憶されている方も多いかもしれません。けれども、シューマッハーの問題関心は、そうした時事評論にとどまらない奥行きを持っています。その一端を紹介したく、このような投稿となりました。
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小野坂