経済学の歴史や食料危機に関する書籍を紹介します。
先日は東京都中央区リピーター様よりご依頼を頂きました。毎度誠にありがとうございます。今後もどうぞよろしくお願いいたします。
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11月29日付のニュースを確認しておりましたところ、東京株式市場の日経平均株価が続落との報道が目に止まりました。ロイターの記事では、「南アフリカで確認された新型コロナウイルスの変異株『オミクロン』の感染拡大が引き続き警戒された」ため、株価が下落したと報じられています。ただ、今回の出来事は、感染拡大が懸念されたためというより、感染拡大に対する措置によって景気が悪くなる、という思惑での値動きのようにも感じます。株式の売買で儲けようなどと夢にも思わない庶民からすると、何に一喜一憂しているのか、お金持ちの考えることはよくわからないなぁ、という気分です。
※日経平均は新型コロナ変異株への警戒で続落、円高も重し(ロイター、2021年11月29日)
https://jp.reuters.com/article/tokyo-stx-close-idJPKBN2IE0F0
経済とはよくわからないなぁ、とお嘆きの方には、最近入荷しました以下の画像の本、牧野邦明『新版 戦時下の経済学者――経済学と総力戦』(中央公論新社、2020年)をおすすめします(現在出品中です! https://amzn.to/3EiyWEk)。「経済学」という単一の理論があり、それに基づいて素人を寄せ付けない確固たる結論が用意されている…わけでは全くありません。各人がそれぞれ直面した問題に向き合って苦闘してきた足跡が「経済学」あるいは「経済政策」の歴史なのです。このことは、本書の的確な序章の通りです。もしかすると、あなたがこれから始めることが、振り返ってみて「経済学」と呼ばれるものになっているかもしれません。
たとえば、スーパーのお菓子やパスタなど、1パッケージあたりの分量が減っているのに、値段はそのままという事態に直面すると、これは経済問題だ!という気がしてきます。
食料の問題は、先日アップしたブログとも関係がありますので、それを再度紹介します。同投稿では、今年11月の中東のアフガニスタンにおける干ばつが深刻化しているという報道とあわせ、アフガニスタンで農業用水の確保のための活動をされていた中村哲さんついて、若干述べました。この投稿の基礎となったのは、最近入荷した『ペシャワール会報 1983~2004合本』です。下記URLよりご覧ください。
※ペシャワール会編『ペシャワール会報 1983~2004合本』(石風社、2004年)が入荷しました~中村哲さんが遺した農業用水確保のためのガイドラインについての報道を受けて(くまねこ堂古書ブログ、2021年11月27日)
https://www.kumanekodou.com/28087/
食料問題、といっても日本に生きるわたしたちは、商品の値段に一喜一憂しがちです。しかし、そもそも農作物はどのようにして育てられ、運ばれ、加工され、私たちが目にする商品となって売られているのでしょうか。それら作物が商品となるまでの過程を、買い物中に考えることはほぼありません。あるいは、成分表示を凝視すると、その商品の背景が手に取るようにわかるという猛者はおられるでしょうか?
農作物が商品となるまでの一連の過程については、現在出品中の本ですが、スーザン・ジョージ『これは誰の危機か、未来は誰のものか――なぜ1%にも満たない富裕層が世界を支配するのか』荒井雅子訳(岩波書店、2011年)(https://amzn.to/3lqiTN3)が参考になるかもしれません。スーザン・ジョージは、『なぜ世界の半分が飢えるのか―食糧危機の構造』小南祐一郎、谷口真理子訳(朝日新聞出版、1984年)の著者として馴染みのある方もおられるでしょう。食料が足りない、のは単に生産される作物の量が足りないのでしょうか。そうではないであろうことが、上記2冊の深刻な不平等を表現したタイトルからうかがえます。
このように述べると、農作物が商品であることをやめれば良いのか、と主張しているように思われたかもしれません。私はいったん、そのように考えましたし、現在の食品経済に大きな不平等があるのはたしかです。しかし、最近ブログで取り上げ続けているアフガニスタンの状況をふまえると、農作物を商品にしてはいけないなどというのは、極論にすぎないことがわかりました。アフガニスタンは、食料も輸入に頼っていますが、現在油田が発見されていないことから、エネルギー資源も近隣諸国に依存しています。輸入には当然代金の支払いが伴いますが、その代金の一部をアフガニスタンは、ドライフルーツなど食品輸出でまかなっています。こうした食料を得るために食料を売るという現実があるのです。エネルギー資源と食料を輸入に頼っているのは、日本もそうなのですから、国家として食料を得るために食料を売る現実は、けっして他人事ではありません。
飢餓はなぜ起こるのか、そして平等に食料を手にするにはどうすればよいのか論じた本には、安易に結論を決めつけない粘りと、不公正に対する明白な怒りがあわさり、読者を圧倒する内容となったものがあります。その例としては、上掲画像のジャン・ドレーズとアマルティア・セン『飢餓と公共行動』(オックスフォード大学出版、1989年)が挙げられます。私たちは、なるべく安く多くの食品を求める消費者かもしれませんが、農作物の収穫、そしてそれが商品として売られる一連の流れのどこかで働く人々のことを忘れてはいないでしょうか。こうした異なる利害を抱え込んでなされた考察こそ、ドレーズとセンの研究を読む際に注目すべき点なのです。
食料の平等に向けて知らなければならないこと、考えなくてはならないことは山ほどあります。その一助として、現在では入手困難な書籍が、古書の流通という形で皆さまのお手元に届くようなことがありましたら幸いです。
小野坂
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