デイビッド・ゴールドブラット『オリンピック全史』志村昌子、二木夢子訳(原書房、2018年)が入荷しました!~壮大な通史にして必携の辞典!#学術書 #オリンピック
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ここ最近、大正・昭和戦前期の日本に関する研究書や当時の文献を紹介してきました。それとの関連で、1940年東京オリンピック(五輪)に関する記述のある歴史研究の書籍が入荷しましたので、以下紹介していきます。
デイビッド・ゴールドブラット『オリンピック全史』志村昌子、二木夢子訳(原書房、2018年)です。近代五輪の通史として端から端まで読むも良し、辞典として事あるごとに参照するも良し、本書は一家に一冊置かれるべきものに思われます。
そこで、1940年東京五輪についての記述を確認してみましょう。そこでは、同五輪の聖火リレーのルート決定をめぐって、国際オリンピック委員会(IOC)、IOC内の日本人代表、日本の都道府県といった複数の立場の利害が交錯する政治抗争が発生していました。IOC内部ですら、どのルートとるのか割れていたわけですが、それでも日本国外を含むことでは共通していました。それに対する第三案が、宮崎県より提案されます。このことについて、ゴールドブラットは次のように述べています。
「独自の提案をしたのが、日本列島南部にある宮崎県である。『天孫降臨』の地、日向国の高千穂峰から現在の天皇が住む東京までをリレーでつなぐという計画だ。彼らに少なからぬ援助をした国粋主義の新聞社と陸軍は、1937年7月に始まった、中国への日本軍侵攻の支持者層でもあった」(同書169頁)。
この一点からも、1940年東京五輪が何であったかということがうかがえますね。それは、日本の国威発揚のためのイベント、それも国外で軍事行動を拡大していた国が計画したものであったのです。そして、聖火リレー第三案のねじ込みもむなしく、皮肉にも東京五輪が返上されるにいたったのは、上記の「国粋主義の新聞社と陸軍」の行動が原因でした。
一方で、世界には五輪をうまく活用した政治指導者も存在します。とくに有名なのは、ナチ・ドイツの指導者ヒトラーですね。1936年ベルリン五輪の開催について、ヒトラーが宣伝大臣ゲッベルスに対して次のように述べていたと、ゴールドブラットは記しています。それは、ベルリン五輪開催に対する反対運動が高まる中で、ヒトラーがどのように考えていたのかを示す部分です。
「〔ベルリン〕オリンピック開催が白紙に戻されるのだろうか。ところが、ヒトラーは計画を進める許可を与えた。彼が後年ゲッベルスに語ったところによると『今ドイツは世界から悪い印象を持たれている。ゆえに文化的な手段でこの難局を打開しなければならない。そんな状況でオリンピックの開催地に選ばれたことは願ってもない好機である。我々は新生ドイツの優秀さを世界に示さねばならない』と考えたからであった」(同書152頁)。
▲してやられた!!
そうしたヒトラーの思惑は、まんまと達成されました。1936年ベルリン五輪の開催によってヒトラーのナチ・ドイツが獲得したものについて、ゴールドブラットは次のように述べています。
「なにしろ国際社会におけるドイツの居場所が定まったのである。独裁者として大きな権力を握ったヒトラーは、国内でいまや絶大な支持を得ていた。『オリンピックは実に大きな突破口となった。報道機関は国内外とも今大会を絶賛……外国の記者は取材熱心で敬服する』。運営に関しては、効率、壮麗さとも全世界の論評が一致しており、ベルリン大会はすべてにおいてこれまでの大会の頂点に立ったと評された」(同書164頁)
さらにゴールドブラットは、五輪後のドイツ世論について、「オリンピックが終わったらユダヤ人をたたきのめそう」という一節をナチ党員が歌っていたことに言及します。いうまでもなくその歌詞は、「実行されるときが来た。狩りが再び始められた」わけです(同書165頁)。
これらゴールドブラットが指摘している基本的な事実、すなわち負の歴史を抜きにして、五輪のあり方を考えることはできません。そして、その負の歴史の一部として2021年東京五輪が存在することも、また疑いようのないことかと思われます。少なくともゴールドブラット『オリンピック全史』によって示された、壮大にして細部も書き込まれたパノラマに接するなら、2021年東京五輪を賛美する発言がきわめてちっぽけなものに思われてなりません。
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小野坂