長谷川毅『暗闘――スターリン、トルーマンと日本降伏』(中央公論社、2006年)が入荷しました!
いつもくまねこ堂ブログをご覧いただきありがとうございます。最近、日本の近現代史や第二次世界大戦に関する書籍が多く入荷してまいりました(※)。そこで今回は、囲碁の終盤戦である「ヨセ」の激動に例えられるような、第二次世界大戦の敗戦・終戦についてお話ししていきたいと思います。というのも、次の書籍が入荷したからです。
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長谷川毅『暗闘――スターリン、トルーマンと日本降伏』(中央公論社、2006年)です。
第二次世界大戦については、個別の時期や観点において精密な実証が積み重ねられてきた研究分野ではありますが、それゆえにこの問題を考えていくための土地勘をつかむことが難しくなっています。いきなり長谷川氏の著作に取り組んでも、思うように読み進められないかもしれません。そこで、土地勘をつかむための地図として、岡義武「大戦に課せられた問題」『岡義武著作集』第7巻(岩波書店、1992年、初出1956年)を参照してみることにします。
岡は国民の積極的支持が不可欠な総力戦の遂行にあたって、戦争目的の宣言が重要な意味を持っていることを同論文の冒頭で述べています。しかし岡は、「ところで」と語を継いで、「戦争下戦況の推移にともなって、交戦国政府においては戦後構想が立てられ、それは次第に具体性を帯びたものに発展することになる。その場合、この戦後構想は、もはや国民大衆に働きかけることを目的としたものではなくて、むしろ実現さるべき国家のきわめて現実的な政策目標それ自体にほかならない」、と本題に入ります。私が戦争の終結を囲碁の終盤戦になぞらえたのは、この一節を読んだからです。
そのような「ヨセ」段階の一大焦点として、ソ連・ポーランド間の国境問題、および戦後ポーランド政権の政治的性格をめぐる争点が浮上していました。ヨーロッパにおける第二次世界大戦は、1939年9月1日にドイツ軍がポーランドに侵攻したことで勃発しましたが、同月17日にはソ連軍がポーランド東部を占領しています。1941年6月に始まった独ソ戦は、1944年に入るとソ連が優勢となり、ポーランドにおいても1944年12月に、ソ連の影響下でポーランド共産党を中核とする臨時政府(ルブリン政権)が成立します。ポーランド政府は別にイギリス亡命したロンドン政権がありました。ソ連はルブリン政権成立に先立って、保守・反共のロンドン政権とは1943年段階で国交断絶を宣言していました。こうした経緯で、ポーランドには2つの戦時政権が存在しました。そのため、戦後ポーランド政権の正統性をめぐって、異なるポーランド政権を支援していた英ソ間で対立が生じることになったのです。
このポーランド問題の解決で決め手になったのは、ソ連がポーランドをドイツ軍から解放したという事実でした。これを根拠にポーランド共産党を中心としたルブリン政権を基礎にして、戦後ポーランド政権が1945年6月に樹立されました。
そういうわけで、ほぼソ連によるポーランドへの内政干渉ともいうべき形で、戦後ポーランド政権が成立したといえなくもないですが、なぜ、そのようなかたちでソ連の思惑が通ったのでしょうか?
それに、ソ連がポーランドをドイツ軍から解放したことが、この結果の決め手になったというのは、どういう意味を含んでいるでしょうか?
現代の目線からみると、戦争の「ヨセ」段階で、勝者である連合国軍同士の熾烈な占領合戦に陥ってもかまわない、といわんばかりの事態に思われます。
このポーランド問題の帰結には先例がありました。枢軸国の一国、イタリア占領です。イタリア占領は1943年7月のシチリア占領に始まりますが、それを実行したのは米英両軍でした。そして、イタリア占領管理の実験を握ったのは、実際に占領した米英両国でした。このことは決定的な先例になりました。後に、ソ連のスターリンが自国の東欧諸国への影響力を正当化する際に持ち出したのが、他ならぬこの「イタリア方式」だったのです(※)。
※豊下楢彦『イタリア占領史序説』(有斐閣、1984年)57頁。
「ヨセ」段階の連合国軍同士の熾烈な占領合戦は、もうひとつの枢軸国である、ドイツの占領で顕在化しました。1945年5月に降伏したドイツの場合は、英米仏ソ四国の分割占領統治となりました。この分割占領のハイライトは、それぞれの国が自国の占領を正当化するために、競って公衆衛生の再建に取り組むことになったことです(※)。イタリア、ポーランドを経て、ドイツの分割占領にいたったわけですが、このことは「ヨセ」の熾烈な争いのひとつの表れといえるかもしれません。
※Jessica Reinisch, The Peril of Peace: The Public Health Crisis in Occupied
Germany (Oxford: Oxford University Press, 2013), pp. 295-297.
この枢軸国の独伊、およびポーランドの前例は、最後まで残った枢軸国日本の降伏をめぐる米ソ関係においてどのような影を落としていたのでしょうか。以上のような、ルールに則った競争というより、現実がルールとなっていくような大国間の駆け引きに注意しながら、日本の敗戦と講和を考えていく必要があります。そのためにこそ、ロシア史が専門の長谷川毅氏による、『暗闘――スターリン、トルーマンと日本降伏』を読まばなりません。同書はこれまで別個に研究されてきた、日本の終戦工作、アメリカの対日政策とともに、ソ連の対日・対米政策についての分析を含んだ、総合的な研究となっています。敗戦間際の日ソ関係の重要さは、従来から指摘されながらも同書の登場まであまり明らかにされていませんでした。それゆえ、長谷川氏による成果は、重要となっています。
他方で第二次世界大戦開戦とその拡大の経緯に関する書籍も入荷しています。こちらもいずれ紹介しようと考えています。
戦争に際して、政治や軍事の責任者はどのようにふるまったのでしょうか。彼らは息が詰まるような、緊迫した決断の連続に直面したのか、もしくは理性を失った現実離れした決定を繰り返したのでしょうか? 後々の大惨事につながっていく第二次世界大戦当初の各国における政治的・軍事的決定について、国際比較から迫っている本です。次回も何卒よろしくお願い申し上げます。
小野坂
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