イアン・カーショー『運命の選択1940-41』河内隆弥訳(白水社、2014年)が入荷しました #第二次世界大戦 #ウクライナ危機 #歴史認識

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 さて、ロシアとウクライナ間での戦争が拡大の一途をたどっています。ウクライナ南東部にある欧州最大のザポリッジャ(ザポロジエ)原発で火災が発生したとの報道もあり、不安が募ります。一刻も早い収束を願いますが、そう簡単にはいかない、というのが歴史の教訓ではあります。

※ロシア軍、原発近くに進軍 2回目協議では避難路確保に合意 ウクライナ侵攻8日目(BBC NEWS JAPAN、2022年3月4日)
https://www.bbc.com/japanese/60613292

 そこで、イアン・カーショー『運命の選択1940-41』河内隆弥訳(白水社、2014年)が入荷しましたので、今回は本書を紹介します。第二次世界大戦初期における、各国政治指導者の外交・軍事政策の選択について論じた本です。

カーショー『運命の選択』

 とはいえ、開戦原因や戦争の激化をめぐる詳細であったり、あるいは本書全体を通じてどのような主張がなされているのかという点については、一言で紹介するのは難しいです。

 そもそも、世界大戦の繰り返しである「第二次」世界大戦が勃発した時代とはいかなる時代であったのでしょうか。こうした基礎的な理解をふまえて、本書タイトルにある「運命の選択」がどういった意味で運命を決することになったのかを知るための準備をしていきたいと思います。

 そのために、カーショーのヨーロッパ通史である、1914年から1949年までを扱った『地獄の底からヨーロッパ史1914-1949』三浦元博、竹田保孝訳(白水社、2017年)を読んでみました。カーショーは、二度にわたる世界大戦の時代をどのように捉えているのでしょうか。

 この点についてカーショーは、『地獄の底から』の「無間地獄」という節で端的にまとめています。

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 あらゆる戦争は非人道的であり、近代戦争は特にそうである。近代兵器とは、戦争行為における殺戮がますます多くの民間人を虐殺に巻き込み、規模において巨大になるとともに、非人格的になったことを意味している。一九一四~一九一八年の大戦はこうした性格を一二分に示していた。その戦争は確かに恐ろしいものだったけれども、人類が第二次世界大戦中に陥った無間地獄に比べれば、影がかすんでしまうのである。
民族・階級憎悪と過激な民族主義、妄想症的反ユダヤ主義と狂信的ナショナリズムに突き動かされたヨーロッパでは、この前例のない転落は、起きるべくして起きたのである。憎悪に突き動かされて戦争を起こし、敵を撃破するだけでなく抹殺しようとするのは、基本的人間性のあらゆる基準を崩壊させる行為だ。……
その結果として生じた、戦闘部隊だけでなく民間人にとっての生き地獄は、主としてイデオロギーの産物であった。つまり、誰が生き、誰が死ぬべきかは、優れてイデオロギー問題だったのである(329頁)。
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カーショー『地獄の底から』

 カーショーはこの部分に続けて、「イデオロギーは経済上の緊急の必要性と深く関係している」とし、上記の他民族に対する憎悪をあわせて「精神を病んだ人びとの殺害には、イデオロギー上の動機があったのだが、『無用な生命』と見なされた者を除去することによって、経済的節約をする狙いもあった」と述べています。つまりカーショーは、対外戦争と国内経済とを結びつける、「誰が生き、誰が死ぬべきか」を決めるイデオロギーが存在していたことを指摘しています。

 このようなイデオロギーは、軍事や経済に関わる地理的、物質的な現実に基づく判断を歪めていきます。そのような状況で、「運命の選択」がなされていったのか、と思うと改めてゾッとしますね。こうした歴史的背景をふまえて、カーショー『運命の選択』をじっくり読んでいく必要があるのではないでしょうか。

 なお、今回はカーショーのヨーロッパ通史の本との関わりで以上述べてきましたが、当然ながら『運命の選択』には、第二次世界大戦の交戦国であった日本について扱った章もあります。今回の投稿では詳しく紹介できませんが、同書「あとがき」で日本の政策決定に関しては次のような指摘があります。

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 日本のシステムは色々な点で、イタリアのファシズムとドイツのナチズムに類似していた。しかし同時に大幅な相違点もある。日本の場合は個人に帰結する恣意的な意思決定の余地はなかった。……このことが将校団〔陸海軍の中堅層〕の中核に位置するグループから上方へ向かって放たれる意見が大きな影響力を与える、という日本の特異なシステムを形造っていた。
 しかし実際には、下からの圧力も、拡張、征服や支配をもとにした国威追求という固定的イデオロギーの枠内で作用するものだった。これらの目標に到達するための戦略と戦術については白熱した議論が巻き起こっていた。目標そのものが問題にされることはなかった。したがって集団としての政府も同じような硬直した最終目標を抱いていたのである。……リスクは高かろうが賭けに走るという傾向が内在していた。それは……屈辱的な妥協に比べれば、まだよいことだと考えられていたのである。
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 カーショーが指摘したような「目標そのものが問題にされること」がない日本の政策決定のあり方については、明治初年の日本近代化の開始時点から引き続く問題だという見解があります。それでも日本国内に対立がなかったわけではありません。そこで近年の近代日本史研究では、それでは何をめぐる対立や議論であったのか?という観点で研究が進んでいます(※)。

※五百旗頭薫・奈良岡聰智『日本政治外交史』(放送大学教育振興会、2019年)30-33頁。

 これらのことから、第二次世界大戦の教訓として、次のような点が挙げられます。白熱した政策論争が存在したようでも、結局は「リスクは高かろうが賭けに走るという傾向」に陥ってしまった中で、第二次世界大戦を引き起こし、それを過激化させるような「運命の選択」が重ねられていったのです。個別の判断の重大さと、それをとりまく全体的な傾向、そのいずれもから目を切らずに戦争について考えていく必要が、今日高まっています。

小野坂


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