飯島渉「SARSという衝撃ー感染症と中国社会ー」『現代思想』第31巻9号(2003年7月)を紹介します
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6月半ばですが、すでの真夏の暑さですね。冷房を入れたくなりますが、室内を閉め切ってしまうと、新型コロナウイルスの感染や、乾燥による夏風邪が心配です。最近の報道でも、新型コロナウイルスの感染が拡大している模様です。
※<新型コロナ・21日>東京都で新たに1963人感染(東京新聞、2022年6月21日)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/184751
日々の細切れの報道に怯えつつ、一喜一憂するのではなく、感染症について考える基本的な態度をつくっていく上で、直近の過去の感染症問題を振り返ることは重要です。その意義は、いうまでもなく今日において一層高まっています。そこで、今回は、最近入荷した月刊誌から、次の論文を紹介していきます。
上掲の画像は、飯島渉「SARSという衝撃ー感染症と中国社会ー」『現代思想』第31巻9号(2003年7月)104-112ページです。飯島氏は、青山学院大学文学部教授で、中国近代史を専門とする歴史学者です。主著に、『ペストと近代中国―衛生の「制度化」と社会変容―』(研文出版、2000年)、入手しやすいところでは、『感染症の中国史―公衆衛生と東アジア―』 (中公新書、2009年)があります。
『現代思想』掲載の「SARSという衝撃」は飯島氏の専門に沿って、当時猛威を振るっていた「SARS(重症急性呼吸器症候群、中国語では、「伝染性非典型肺炎」)について、中国社会における感染症の歴史という視角から、その含意するところを探ろうとするもの」となっています。
SARSとは、2002年秋ごろから、中国南部の広東省で感染が顕在化し、そして世界各地に広まった感染症です。その症状は主に、発熱、悪寒戦慄、筋肉痛など、突然のインフルエンザ様の前駆症状で、さらには非定型肺炎を引き起こすというものでした。終息したのは、2003年7月ごろで、その理由は未だよくわかっていません。
感染症の拡大というと、歴史的には第一次世界大戦中とその後数年のインフルエンザが想起されることが多いのですが、著者の飯島氏は、よりさかのぼって、1894年の香港におけるペストの流行を取り上げています。香港という、交通ネットワークの結節点として、ヒト・モノ・カネが行きかう香港での腺ペスト(げっ歯類からノミを介して感染するペスト)流行は、グローバルな感染拡大を招きました。そして、病気そのものにとどまらない、ある問題が浮上してくることになります。
「腺ペストのグローバル化が香港での感染爆発に端を発したものであったため、世界各地では、腺ペストを理由とした排華運動が展開され、東南アジアや北米に展開したチャイナタウンがその標的となった」のです。このことについて、飯島氏は、この論文が発表された2003年現在との関連で、次のように述べています。
「感染症の流行の際の差別問題は、人種主義を背景として、感染症の歴史学の大きなテーマの一つである。歴史上、こうした事例は枚挙に暇がないが、決して過去の問題ではないことは、現在のSARSをめぐる各地での対応にもかいま見える」
感染症を理由とした人種差別は、SARSから10数年後の新型コロナウイルスの流行に際しても繰り返されています。そうした差別は、往々にして現実離れした妄想を膨らませてしまい、感染症対策のために必要な私たちの正しい認識を歪めてしまいます。それでも繰り返し感染症に伴って差別も蔓延してきたのは、感染症拡大の責任を特定の国や集団に押しつけて問題を解決した気分になるために、差別が用いられるからなのでしょう。
飯島論文を通して、直近の過去の問題としてSARS流行を振り返り、その意味を考えるために19世紀末~20世紀初頭の中国の歴史にさかのぼることを、ぜひともオススメしたく、このような投稿となりました。ひょっとすると、歴史の教訓において最大のものは、人類が歴史から学ぶ気がないこと、なのかもしれません。だからこそ、歴史に学ぶとはどういうことなのか、と考え続けていきたいですね。
小野坂