世界は言葉でできているから―やすたけまり「歌集 ミドリツキノワ」のご紹介―
秋の雨の心地よさに、嬉しくなっている今日この頃です。
皆さまいかがお過ごしでしょうか。
今日は以下の歌集をご紹介したいと思います。やすたけまり「歌集 ミドリツキノワ」(平成23年 短歌研究社)です。やすたけまりの、第52回短歌研究新人賞受賞作品収録の第一歌集とのことです。
「すなば・パレット・植物図鑑」より、一首引用します。
山木蓮うたい出せその手をうえにむすんだら春ひらいたら風
この歌の意味するところは、木蓮に目をやることで、春、そして春風を感じているということだろうと思います。木蓮という一点への視覚的な形容から、春という季節全体の表現へ、風という触覚や聴覚で感じるものにまで広げています。限られた文字数の中で、このようにぶわっと春というものが広がり迫ってくる感じを示していて、巧みです。
そのような言葉にされ、歌によって自分の中にできたイメージは、また春が来た時に私の中の春のイメージの一部になっているだろうと思います。言葉が世界を作っていくのでしょう。
私たちが普段話したり、書いたりしている言葉と、短歌の言葉は違います。文字数や調の制限があります。しかし、制約があるからこそ豊かな表現ができるのです。例えば、先ほどの「山木蓮…」の歌の、短い言葉の中で急に世界が広がって春のにおいがむっとするような感じは、しゃべり言葉で無制限に語れる中で伝えようとしてもできないことです。短歌という形式があるからこその、魔法がかかるのです。
短い言葉なら、現代の私たちはツイッターなどで散々触れています。あまりに飛び交ってきて、嫌になるくらいに。無節操な単純な言葉もたくさんある。でも短歌は、短い言葉だけれど表現として追及されたもので、私たちを巧みに揺さぶる。むき出しによって与えられる衝撃と、仕組まれたものによって与えられるそれは、まったく違うものです。
事実とか本当とかに疲れた皆さん、例えば、やすたけまり「歌集 ミドリツキノワ」の言葉の世界を味わってみるのはいかがでしょうか。どうせ「事実」であっても「本当」であっても、私たちの世界は言葉による構築物であることを逃れられない。その中で、練られ作り上げられた言葉に接することで、あなたの世界は少し変化するかもしれない。そんなご提案をして、本日のブログといたします。
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コトー
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