中国共産党の指導者・陳独秀に関する書籍が多数入荷しました #社会主義 #中国近代史 #学術書
いつもくまねこ堂ブログをご覧いただきありがとうございます。最近も学術書の買取依頼がございました。神奈川県川崎市のお客様よりのご依頼です。先日、東アジア近現代史の書籍が入荷しました際に、石川禎浩『中国共産党成立史』(岩波書店、2001年)を紹介しましたが、引き続き中国共産党史関連の書籍とあわせ、中国史、思想、哲学、社会科学を扱った、岩波現代文庫、講談社学術文庫、岩波新書をお譲りいただきました。この場をお借りして感謝申し上げます。
※石川禎浩『中国共産党成立史』(岩波書店、2001年)が入荷しました(くまねこ堂古書ブログ、2022年10月14日)
https://www.kumanekodou.com/31316/
その中でも、中国共産党結党(1921年、引用で「中共」との略記あり)の立役者の一人にして、後に中国共産党に対立したことで知られる、陳独秀に関する書籍がまとまって入荷しました。
陳独秀の略歴について、長堀祐造『陳独秀――反骨の志士、近代中国の先導者』世界史リブレット人090(山川出版社、2015年)を参照しつつふれていきます。著者の長堀氏は慶応大学教授で、平凡社シリーズの「東洋文庫」に収められた、『陳独秀文集』全3巻(2017年刊)の翻訳者の一人でもあります。『陳独秀――反骨の志士、近代中国の先導者』は、「生涯にわたる反対派」として活動した陳独秀のコンパクトな評伝となっています。
中国共産党の結成に奔走した陳独秀が後に中国共産党と対立したというのは、主に1929年以降の中国トロツキー派としての活動のことを指しています。党派の名称に入っているトロツキーとは、いうまでもなくロシア革命の指導者の名前です。トロツキーは、世界的な「永続革命」を唱えたことで知られます。トロツキーは後に、ソ連政権の実権を握り「一国社会主義」を推進したスターリンと対立しますが、その結果トロツキーは1929年に国外追放を宣告されます。この出来事は、陳独秀が中国共産党を除名された年と奇しくも一致します。
1929年以降の陳独秀の活動について、ひとまず『陳独秀――反骨の志士、近代中国の先導者』での長堀氏のまとめを参照してみましょう。
陳独秀は国際的な共産主義者団体のコミンテルンにおいて、1927年以降の中国における共産主義運動の敗北の責任をソ連の指導者から追及されていました。そのため、「コミンテルン路線に従ってきた陳独秀は煩悶し、一九二九年、理論的苦闘をへてトロツキーの中国革命に関する見解を受け入れ、中国トロツキー派組織の指導者となって、中共を除名された」のです。その後の「中国トロツキー派の運動は、中共が農村に退き空白となった都市部で労働運動に若干の影響力をもったものの、スターリニズムの圧倒的支配下にある中共や国際共産主義運動に対して大きな力を発揮することはなかった」というのが現実でした。
この中国トロツキー派しての活動は、陳独秀自身が一九三二年に中国国民党指導者・蒋介石率いる国民政府によって逮捕されるといった弾圧にさらされました。
この一例をみても、「生涯にわたる反対派」陳独秀がたどった道程は過酷でした。しかし現在、「反対派」の陳独秀に勝ったはずの中国共産党の指導者の下での政治・経済の在り方が、中国共産党成立100周年を経ても依然として問題視されています。この陳独秀の敗北の意味を、今あらためて学び直す必要が高まっています。
その意味で注目されるのは、1937年に勃発した日中戦争以降、陳独秀が民主主義をめぐって、中国トロツキー派とも対立するするようになっていったことです。この民主主義との関わりでも、同じく長堀氏の『陳独秀――反骨の志士、近代中国の先導者』を参照すると、次のような記述があります。これの引用をもって終わりたいと思います。
「中国共産党の一党支配は、今や『社会主義』から無限の距離にあることは明らかである。腐敗と独裁に対し、民主を求める力はますます増大するだろう。そのとき、清朝、軍閥、帝国主義、スターリン主義に抗して、陳独秀が新文化運動・五四運動期から晩年まで掲げ続けた民主の旗は、ふたたび人々の道標となることであろう」
小野坂
買取品目・ジャンル | 中国共産党史 |
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商品名・作品名 | 陳独秀の評伝など。中国史、思想、哲学、社会科学、岩波現代文庫、講談社学術文庫、岩波新書 |
出張先・エリア | 神奈川県 |
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