斎藤幸平『人新世の「資本論」』(集英社、2020年)が入荷しました #マルクス #気候危機 #資本主義
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ところで(と書き出しましたが、最近入荷した本と関係があるテーマの)、環境問題、あるいは気候変動と呼ばれてきた事態は、現在の私たちにとって待ったなしの脅威となっています。気候危機という用語も一般に使われるようになってきました。今夏のパキスタンの水害も、私たちにとって対岸の「洪水」ではないはずで(※)、実際、日本においても数10年に一度の規模とされる「記録的豪雨」が、毎年のように観測されています。
※パキスタンの記録的な洪水の被害額は当初推定を上回る約6兆円(Forbes JAPAN、MSN転載、2022年10月20日)
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あわせて気がかりなのは、長期化するロシアのウクライナ侵攻が、地球環境にどのような影響を与えるのか、といった点です。少なくとも、気候危機への対応のための国際的な協力が阻害されていることは明らかでしょう。それに加え、戦争を遂行するために武器弾薬を製造し、兵士とともにそれらを運び、さらには戦火を交える中で、どれほどの資源が浪費されていることでしょうか(※)。こういった環境負荷が、環境および私たちの生活にどういった影響をおよぼすことになるのかと不安が募ります。
※マルチェロ・ムスト「戦争の起源、NATOの役割、ウクライナの将来のシナリオ――バリバール、フェデリーチ、レヴィとの対話」斎藤幸平訳『世界』第962号(2022年10月)152-163頁。
上記記事の訳者、斎藤幸平氏(東京大学准教授)は『大洪水の前に――マルクスと惑星の物質代謝』(堀之内出版、2019年)、『人新世の「資本論」』(集英社、2020年)などで知られる、経済思想の専門家です。とりわけ、19世紀半ばに書かれたマルクスのエコロジー思想を発掘し、現在の気候危機の克服に向けて発言し続けている斎藤氏は、学術の世界にとどまらない注目を集めています。
マルクス、と聞けば、かつてのソ連や中国といった国々の体制を正当化した、社会主義ないし共産主義を唱えた人物のことか?といった反応が返ってきそうです。そうした反応においては、それら体制の非民主的な政治制度やその下での経済の混乱といった問題点が、マルクスの思想と直接に結びつけられているのでしょう。とはいうものの、社会主義・共産主義の実現を目指した政権による計画経済の破綻について、今やそれを否定することは困難です。他方で、社会主義にある程度肯定的な向きでも、マルクスには「生産力至上主義」という負の側面があることを理由に、彼の思想を気候危機の時代に顧みることに懐疑的であったりします。マルクスが自然環境という制約条件を度外視している、と批判する本も少なくありません。ただ、こちらの見解にも、マルクスの著作における裏づけは、ある程度は存在します。
しかし、上述のありふれたマルクス評価は、どれほど妥当な話なのでしょうか。ロシアや中国の共産主義革命をマルクスが指導したわけではありませんし、マルクスの長期にわたる執筆活動において、「生産力至上主義」がいつでも最重要の主題であった、とも思えません。ややもすると、ロシアや中国の共産党政権の失敗の理由をマルクスの著作から探す、といった転倒した見方でマルクスを読解しようとしてきたのではないか、こういった疑いすら浮かんできます。しかしながら、そのように疑ってみたところで、実際のところマルクスは何をどう論じていたのか、と質問されても、どう答えるべきか悩ましいところだと思います。
そうしたことを考える中で、マルクスの草稿にさかのぼって丹念に考察した斎藤氏の著作に驚きをもって接することになりました。資本制生産様式、あるいは資本主義と呼ばれる特定の経済システムの作動原理について探究したマルクスこそ、そのシステムによる人間と自然の破壊を直視していた人物であったことが、斎藤氏の著作から浮かび上がってきます。
さらに斎藤氏は、マルクスの議論が、そうした破壊的なシステムの止め方にまでおよんでいたことも指摘しています。その「止め方」は、単に市場の動きに干渉することを許さない資本主義経済を、人為的な計画経済に置き換えるという意味での社会主義ではありません。また、市場の自由と人為的な計画を折衷することでもありません。あえて一言で表現するなら、マルクスは資本主義において人間と人間との、および人間と自然との関係性がどのように取り結ばれているのかを見極めた上で、システムの作動を止める方法を論じているのです。つまり、資本主義特有の人間同士、人間と自然との関係を据え置いたままで、あるいは別の関係性を構築することなく、政権のトップを挿げ替えたところで何ら問題は解決しない、という衝撃の主張(その後の社会主義政権の歴史によって事実になってしまったこと)に、マルクスの考察は達していたのです。
そのような関係性について、マルクスは「商品」概念について論じることで展開しています。急に抽象的になって気候危機の問題から離れたと思われたかもしれませんが、『資本論』が「商品」の章から始まっていることからも想像されるように、この『資本論』の最初にして最重要の章を飛ばして読んでおきながら、「マルクス主義者です」などと名乗るわけにはいきません。それは冗談としても、マルクスの読解を目指しつつ、あわせて後の社会主義政権の失敗を直視するためにも、資本主義特有の人間と人間との関係、人間と自然との関係を問うことが、「生産性の向上」よりも今日はるかに重大な課題だといえます。「商品」を介した関係性が生み出すシステムが、自然環境にどのような影響を与えるのか、という問題を探求することこそ、現在の気候危機を打開するために必要になってきています。そのための導きの書として、ぜひ斎藤幸平氏の『大洪水の前に――マルクスと惑星の物質代謝』を読んでみてはいかがでしょうか。
小野坂