廃墟の美について考えるー写真集「美しい世界の廃墟 朽ちてなお美しさを纏って蘇る廃墟たち」のご紹介ー
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寒さ厳しいですね。熱燗の美味しさを改めて感じました今日この頃です。
皆さまいかがお過ごしですか。
本日は以下の写真集をご紹介したいと思います。「美しい世界の廃墟 朽ちてなお美しさを纏って蘇る廃墟たち」(MdN編集部・エムディエヌコーポレーション・2018年)
廃墟は美しいのか?と思いつつこの本のページをめくってみると、目に入る写真は絵画のようで、やはり美しいと思ってしまいます。
例えば以下。「アメリカのとある廃校の講堂(11頁)」
この本の帯には「世界各地の幻想的、神秘的な廃墟を厳選し一冊にまとめました」とありますが、日常とか生活から離れたものの美がそこにはあるようです。
また、以下。「シックス・フラッグス遊園地(99頁)」
かつては賑わった場も、忘れ去られて、人間の昔の営みの形跡だけが残っています。
この写真集を見つつ、廃墟いう場の特殊性に思い当たりました。廃墟は自然に生まれるものではありません。一度人間が何かを構築し生活の中に組み込んだものが、理由があって忘れられ、人間の暮らしから離れているという過程があって、はじめて存在します。
廃墟には、人間はそれをなぜ造ったのか?なぜ捨てたのか?という問いがつきまとうでしょう。
そういえば、話題の映画「すずめの戸締まり」でも、すずめと草太が閉じるべき扉は廃墟に出現していました。閉園した遊園地や廃校になった学校など。廃墟には廃墟になるべき理由があり、そこには人間の生活の中でのひずみが溜まっているのです。例えばバブル崩壊や災害によって、そこは人々の暮らしから切り離された場となったのでしょうが、その廃墟が再建されないのには政治的・経済的な事情が絡むはずです。いや、そもそもその場に何かが建設された時から、そのような実際的な理由が関係ない訳はないでしょう。その場に対する人びとの思い、嬉しさも苦しさも、生活に密着した現実的なものが含まれないはずはないでしょう。
写真集「美しい世界の廃墟 朽ちてなお美しさを纏って蘇る廃墟たち」に写る廃墟は、幻想的です。それはしかし、写真としてそのように撮られたからそのような美しさを纏うのでしょう。写真は撮る人間と編集によって表現する芸術で、対象そのものではないのです。
「すずめの戸締まり」でも、風景は常に美しくきらきらして、新海の執念さえ感じますが、それもやはり作品として表現された世界であって、その地その地そのものではありません。
今日は写真集「美しい世界の廃墟 朽ちてなお美しさを纏って蘇る廃墟たち」をご紹介しましたが、実際のその場が持つ現実的な問題の生々しさを忘れないようにしつつ、その美しさに見とれたいと思います。
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本日もお読みくださりありがとうございました。
コトー
参考:映画「すずめの戸締まり」公式サイト
https://suzume-tojimari-movie.jp/
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