『尾崎秀実時評集――日中戦争期の東アジア』米谷匡史編(平凡社、2004年)が入荷しました

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 以前の投稿では、第二次世界大戦の歴史に関して、とくに核兵器の開発や、戦時の人種差別を扱った書籍を紹介しました。

 今回は、1937年7月7日以降の日中戦争に対し、日本人はどのように考えていたのか、という点を取り上げたいと思います。ちょうど、判型はコンパクトですが、予想以上に広範な問題が濃密に論じられている以下の1冊が入荷しました。

『尾崎秀実時評集――日中戦争期の東アジア』米谷匡史編(平凡社、2004年)

 平凡社のシリーズ、「東洋文庫」の第724号に収められた『尾崎秀実時評集――日中戦争期の東アジア』米谷匡史編(平凡社、2004年)です。尾崎秀実(1901―1944)とは、数々の鋭い中国評論で著名な昭和戦前期の朝日新聞記者です。さらに、朝日新聞社を退社した1938年、尾崎は近衛文麿内閣の嘱託という形でより時局に関与していきます。もっとも、彼の名前が今日でも有名なのは、別の理由によるのかもしれません。「ゾルゲ事件」なる1941年10月に発覚した日ソ間のスパイ事件については、詳しくは知らないもののどこかで聞いたことがある、という方もおられるかと思います。この事件で逮捕された日本人共産主義者のスパイが近衛首相側近の一人の尾崎であったために、様々な憶測が生まれてきたわけですが、他方で力作のドキュメンタリー作品が放送されたりもしています。

 そういうわけで、尾崎秀実については、ソ連側に通じていた首相側近のスパイの逮捕という何やら醜聞めいた事件の主人公、といったような偏ったイメージが先行していた一面もあるように思われます。そんな中で、2004年に刊行された尾崎選集である『尾崎秀実時評集――日中戦争期の東アジア』は、編者の米谷匡史氏による優れた解説とともに、上記の偏った尾崎イメージの修正を広く一般に迫るものではなかろうか、と思うほどの重要な1冊です。米谷氏は尾崎が発表した評論について、「言論統制による厳しい制約のなかで書かれたテキスト群だが、その限られた条件のなかで、尾崎の『時代認識』は凝縮された形で提示されている」と述べています。そうまでして尾崎が執筆した評論を、私たちはどのように扱ってきたのでしょうか。やはり、米谷氏が上記に続けて喝破したように、「公然と眼の前におかれたものが、かえって見過ごされがちであるように」、尾崎の論説を無視してきたのではないでしょうか。

 たとえば、昭和戦中期に一世を風靡した議論である「東亜共同体」について尾崎にはどのように考えていたのでしょうか。

 尾崎のテキストに入る前に「東亜共同体(ないし東亜共栄圏)」について略記しておきます。「東亜共同体」とは、日本を盟主とする東・東南アジアの広域経済圏の構想であり、日本の侵略戦争を正当化した概念である、といったように現在では一般に捉えられているものと思われます。こういった理解は、日本の戦争責任を問う意味でも足蹴にしてはいけないものです。しかしながら、戦争を直接に体験したことのない平成初期生まれの私からすると、同時代の人々が戦争にどう向き合ったか、ということについて、やや一面的に断罪してしまう見方にも注意を払っていきたいという思いもあります。もし、昭和戦中期の歴史を教訓にしたいのなら、安易に断罪することは避け、当時の人々の苦しみや試行錯誤を追体験しようとする態度も必要なのではないか、と私は考えています。

 以上の問題関心から『尾崎秀実時評集――日中戦争期の東アジア』の読解に取り組んだこともあり、尾崎が残した次の一節が目に留まりました。尾崎は1941年3月号の『改造』に掲載された記事「東亜共栄圏の基底に横たはる重要問題」において、「東亜共栄圏確立のため」には、「中心課題」と思われている「民族問題」と「農業問題」両者の「緊密なる連関」に注意を払って考察することが、さらに「中心の問題」となってくると論をまとめつつ、次のように呼びかけて締めくくっています。

「然も尚この事は日本自身の自己革新とも直接に関連を有つことなのである。凡ゆる困難を賭しても新しき東洋を建設せんとする日本は、自己革新と結びつけることなくしては、東亜諸民族の正しき結合による新秩序創建の偉業を直ちに達成し得ないことを、銘記すべきであると信ずるのである」

 平時にはなし得なかった日本社会の変革を戦時下にあって実現し、その上で戦争の原因を根本的に取り除こうとするかのような、上記の一節に、現在の私たちはどのように向き合えばよいのでしょうか。反戦の訴えは、その実現を担保する制度的な根拠を持っているでしょうか。そして、このような問いは、同時期の英米においても盛んに議論されていたことにも目を向けるべきだと考えます。この点に関して、敵国のイギリス人が書いた洋書を戦時下の日本で読んだある人物は、その本の内容を評して「その通りだ」と隠れて泣いた、という話もあります。このような一節、一挿話から、当時の日本人の苦悶を多少ながら追体験する形で、あの戦争の歴史を考えていこうと思っています。

 戦中期の日本人が取り組みつつ、敗戦と同時に忘れ去られた苦悩の歴史が、『尾崎秀実時評集――日中戦争期の東アジア』には数多く含まれているようです。同書に採録されたテキストは、むろんスラスラと読めるようなものではないではありません。しかしながら、毎年7月7日、8月15日はやってきます。何らかの形で個人的に引っかかる部分にしがみついて、考えるきっかけをつかむべく、尾崎秀実の読解に取り組まれてはいかがでしょうか。

小野坂

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