千葉県市川市大町で、将棋の本をお譲りいただきました
「兄達は頭が悪いから東大へ行った。自分は頭が良いから将棋指しになった」
これは故・米長邦雄永世棋聖の有名なセリフです。
米長 邦雄(よねなが くにお、1943年6月10日 – 2012年年12月18日)は、将棋棋士。2003年12月、引退。日本将棋連盟会長(2005年 – 2012年。タイトル獲得数19期は歴代5位。永世棋聖の称号を保持し、引退前から名乗る。佐瀬勇次名誉九段門下。棋士番号は85。趣味は囲碁で囲碁八段(日本棋院から追贈)。2003年11月、紫綬褒章受章。2013年1月、旭日小綬章受章(没後叙勲)。
(Wikipedia)
ところが当の ご本人はこのような発言をしていないという。しかし、あながち間違っていないと思い、積極的に訂正しなかったともされているそうで。ちなみにこれには続きがあり、その兄によれば「馬鹿でなければあんな奴の兄は務まらない」。
将棋棋士米長邦雄。
何年か前に放送されたテレビ番組で、人生の中で出くわしたピンチをどう乗り越え、成功していったかを紹介されていて、その内容がとても印象的なものでした。
かつて四冠王まで上りつめた米長氏が、あるとき突然勝てなくなってしまったのです。その状況をいったいどう乗り越えていったか。
それは「今まで独学で研究していたのをやめ、若手棋士に教えを請う。」という突拍子のないものでした。
かつての四冠王が、年齢もキャリアもはるか下の若手に頭を下げて教えを請う。
プライドを捨てるなんてなかなか出来ないよね、と人は言うでしょう。
でも違うのです。
氏は「プライドを捨てたのではなく、ゴールを見誤らなかった。」のです。
・若手に頭を下げている自分よりも、将棋に勝てない自分が一番許せなかった。
・再び勝てるようになるなら、若手に頭を下げて教えを請うなんて安いもの。
・体裁だけの価値が安いプライドは捨てて、本物のプライドを持っていた。
だからこそ、49歳にして名人位を獲得することが出来た。
自分の中の一番大切なプライドを守るために、その他のつまらないプライドは捨てる。
なかなか出来ることではありませんよね。
コロスケ
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