豊島区大宮のリピーターのお客様に、異端幻想・文庫本を。午後に川口市峯にて戦記・文庫・プラモデルをお譲りいただきました
お客様から、フランツ・カフカの『夢・アフォリズム・詩』をお譲りいただきました。
聴いていると体を動かしたくなる音楽があるように、読んでいると喜びでじっとすることができなくなってしまう文章があります。私にとってはそれは圧倒的にカフカです。
例えばこんな文章です。
すぐ画家のところへ行った。画家は郊外に住んでいるのだったが、裁判所事務局のある例のところとは全然反対の方面であった。もっとみすぼらしい界隈で、家々はもっと陰気くさく、小路は雪解けの上をゆっくりと漂っている汚物でいっぱいだった。画家の住む家では、大きな門の片方の扉だけがあいており、もう一方は下のほうの壁に穴があき、Kが近づいたとたん、気持のわるい黄色の臭う液体がこぼれてきて、それを避けようとして鼠が一匹近くの溝へ逃げこんだ。階段の下では子供が一人地面に腹ばいになって泣いていたが、門の向う側のブリキ屋の仕事場から聞えてくる騒音がいっさいの物音を打消してしまうので、子供の泣き声はほとんど聞えぬくらいだった。仕事場の戸はあけっ放しで、何か仕事を囲んで半円形に三人の職人が立ち、ハンマーでその上をたたいていた。壁にかかった大きな一枚のブリキ板が青白い光を投げ、それが二人の職人のあいだを透してして、彼らの顔と仕事用の前掛けとを照らしていた。Kはこうしたすべてを軽く一瞥しただけだった。
(『審判』より 新潮社 原田義人訳)
この文章は、視線がどんどん運動していきながら(風景を切り開くように)書かれていきます。
①画家の住む家の、開いていない片方のドアの穴から鼠が溝へ逃げ込む。そこから見ると
②階段の下では子供が泣いている、しかしほとんど聞こえない、騒音が聞こえているからだ、ブリキ屋の仕事場から
③仕事場の職人たちの様子、そして彼らの顔と前掛けを照らす青白い光
①~③へと進んでいくときに、鼠が逃げ込む描写を書いたときにはまだカフカは子供が泣いていることを(書くことを)知らない(はず)。そこから覗きこんで初めて、子供が泣いていることを知る。そして書く。しかし子供の泣き声が聞こえない、それは仕事場の騒音にかき消されている、と書いてから(この時点では職人たちの様子はどんなだったかはカフカは知らない)、その仕事場の職人たちへと視線が移動し、描写する。
カフカはこのように一文一文状況や空間を切り開くように前へ、前へ、書いていきました。(カフカはプロットを作りませんでした)一文ごとに視線が移動していき、空間が広がっていく文章を読むと、わたしはそれだけで心が沸き立ってしまいます。ストーリーは二の次で空間のひろがりが、即、歓びに感じてしまいます。カフカの文章は空間の描写だけでなく、唐突に変化する状況も会話もこの力学は変わりません。
カフカは暗いと言われますが、本当に暗いのか?
わたしの好きなエピソードは、現代人の疎外だ、その象徴だ、などと後世言われた『変身』をカフカ自身は、友人たちの前で爆笑しながら読んでいたという逸話です。カフカは自分で笑ってしまう程、とにかく躍動を求めてプロットをつくらずに飽きるまで書き続けた。飽きた時点でパタリと止めてしまうので未完のもの、唐突に終わる生前未刊行の作品が多くあります。(『城』、『アメリカ』など、その他断片多数)
物語全体を俯瞰する結末やオチなどには興味がなく、ただ目の前の一文を書き続けました。
タテ
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