買取事例
スピッツ「空も飛べるはず」と「めざめ」について
【🌴くまねこ堂は今月休まず出張買取を行います!!🎐】
都合がつけばご連絡いただいたその日にお伺いすることも可能です。
是非お気軽にお問い合わせください!
最近は休憩で事務所から出ると、昼の気だるさを感じます。真夏が近づいているけれど、まだ振り切ってはいない感じ。自分は真夏に立ち向かう勇気はありません。困りました。しかしそんなことを思っているうちに、いつの間にか涼しくなり、寒くなって雪が降ってしまうのでしょう。相変わらずの日常が繰り返されていることだけはよくわかります。困りました。
そんな思いの中、鬱屈を吹き飛ばしてくれそうな、なんとも爽やかなジャケットのCDを発見しました。
スピッツの「CYCLE HIT 1991-1997 Spitz Complete Single Collection」です。
ボーナスディスクがついていて、そこには「めざめ」という曲が収録されています。
ブックレットの竹内修の解説によれば
1993年12月24日(クリスマス・イヴ!)に一日でデモ・レコーディングされた「空も飛べる
はず」のプロトタイプ。完成版とは歌詞もメロディも少し違っているが、基本的なアレンジ、
ギター・フレーズなどは既に固まっているのが確認できる。
とのことです。
このボーナスディスクの「めざめ」を聴いていて、気付いたことがありました。「空も飛べるはず」サビの
君と出会った奇跡が この胸にあふれてる
は、「めざめ」では
君と出会えた痛みが この胸にあふれてる
となっているようです。
君と出会えたことは、痛みではなく奇跡だと変更されている。これは重要な違いです。
「空も飛べるはず」の「君」の行為について考えてみると、
幼い微熱を下げられないまま 神様の影を恐れて
隠したナイフが似合わない僕を おどけた歌でなぐさめた
とあり、大人として諦めたり冷めたりすることができず、他者や自分を傷つけるような性質を秘めて過ごしていた「僕」を、「君」が慰めたことがわかります。しかしそれは「おどけた歌で」とされていることから、「僕」にとっては、誤魔化しているではないかとか、「僕」に真正面から向き合っていないのではないかと思わせることもあったのかもしれません。
また、
切り札にしていた見えすいた嘘は 満月の夜にやぶいた
はかなく揺れる 髪のにおいで 深い眠りから覚めて
ともあり、「僕」は「君」と親しい仲になる中で、嘘をつくことをやめたことがわかります。
「空も飛べるはず」のサビでは、「夢を濡らした涙が 海原へ流れたら」とあります。この曲全体としては、「僕」が少年性を保ったまま夢を追っていたところから、「君」との出会いで大人になってしまうこと、その移り変わりを詩にしているようです。
一人で尖って嘘をつきながら頑張っていた少年は、「君」との出会いで、二人で生きていくようになる。「僕」は夢を追うのではなく、君と生きていくことを選ぶようです。でも「夢を濡らした涙が 海原へ流れたら」とあるので、挫折に挫折に泣ききって、思いも行くべきところへ行きつき、自分がそれに苛まれることもなくなって初めて、それはかなうようです。「夢『を』濡らした涙」であるから、「夢」自体を「僕」は捨てた訳ではないのだろうけれど、「僕」は夢ではなく「君」に頼って、一緒に生きていくことにしたのです。
また、「色褪せながら ひび割れながら 輝くすべを求めて」とも歌詞にはあるので、ボロボロになりながらも自分を世界に認めさせようとしたが、しかし実際に世界で「きらめく」のは「ゴミ」だという思いが「僕」にはあるようです。しかし、それでも「君」と一緒に生活をしていきたいのだという思いに行きつくことが、繰返される「ずっとそばで笑っていてほしい」には表れています。
「君」との出会いで「僕」は夢を持った少年から、それのために生きるのではなく、誰かと生活していくことに喜びを見い出すような大人に変化しました。「空も飛べるはず」の「君と出会えた奇跡」という言葉からは、純粋な幸福を感じてしまいそうですが、「めざめ」では「痛み」とされていたことも考えるなら、「僕」の抱えている思いはなかなか複雑であることがわかります。「僕」は「君」のお陰で、孤独とか際限ない夢の追求とかから脱したのだけれど、それは救いであり奇跡なのだろうけれど、やはりそこには痛みがあったのだと。
でもそのような変化を経るなら「きっと今は自由に空も飛べるはず」と歌詞の中では言われています。「空を飛べるはず」なんて言葉は無邪気な少年に似つかわしく、夢を感じさせるようでもあるから、大人になる過程での「僕」の苦しみを考えるなら、それは皮肉にも聞こえそうなくらいです。
「空も飛べるはず」は何度も耳にしたことのあった曲ですが、今回プロトタイプの「めざめ」を聴いて、これはただただ幸せな曲なわけではないのだと、初めて気付けました。
そしてスピッツの怖さも改めて感じて、面白く思いました。草野マサムネ、そしてスピッツにかかれば、どんな残酷も非情も美しい言葉になり、さわやかな声と音楽になってしまうのだなあと。それはもちろん魅力でもありますが。
爆速でこのブログも書いてしまいましたが、「空も飛べるはず」も「めざめ」も、もっと腰を据えて一句一句ねちねちと解釈したなら、思わぬ発見ができるはずです。例えば「夢」をとりあえず「僕」の「夢」としましたが、「君」の「夢」であることも考えられるし、その場合は大分様子が異なってくるはずです。曲の綺麗さで見逃してしまいがちですが、歌詞はかなり難しく重い気がします。また、せっかく「めざめ」を持ち出したのに、「空も飛べるはず」との対照がまだまだできていません。様々、時間をかけて、じたばた格闘してみたいです。しかし、それは今日のうちにはかないませんから、とりあえずこのブログはそのような自分の見通しを示しただけで終わりになります。中途半端に散らかしたばかりでありますが、お読みくださりありがとうございました。
くまねこ堂では、古本やDVD/CDの他にも、古道具や骨董品、アクセサリー、切手、万年筆、レコードや古いおもちゃなどなど、様々なお品物の買取も行っております。
ご処分をお考えの方、またご整理などでお困りのお客さまは、是非くまねこ堂までお申しつけ下さいませ。いろいろなご提案ができるかもしれません。
お電話またはメールフォーム、LINEにて、まずはお気軽にお問い合わせ下さい!スタッフ一同心よりお待ちしております!
コトー
楽譜や音楽書をお譲りいただきました!
本日もくまねこ堂ブログをご覧いただきありがとうございます。
先日は東京都文京区に出張買取に伺いました。
お引越しに伴う断捨離・生前整理ということでクラシックやオペラの楽譜・CD、専門書・学術書・音楽書などの書籍、洋食器、人形などをお譲りいただきました。
誠にありがとうございました。
ワーグナーのオペラ楽譜です!
これいずれもが結構な厚さで鈍器として十分に機能する重量となっています。
今回お譲りいただいた楽譜は殆どが洋書でした。
解説はさっぱりでも譜面を見ると何となく音自体はイメージできたりするので、音符は共通言語なのだと改めて実感します。
バンドにいそしんでいた学生時代、私と似た趣味を持つ留学生とギターリフで会話しまくったのは最高の思い出ですね…「音楽は人と人を繋ぐ」なんて陳腐な言葉ですが、あながち嘘でもないのかなぁと思ったりします。
くまねこ堂では古本はもちろん食器、置物などの小物、CD・DVD、ゲーム、美術品、骨董品など幅広いジャンルのお品物を同時に査定することができます。
今回のような断捨離や生前整理も勿論大歓迎でございます!
ご整理やご処分でお困りのお客様は是非一度お電話やLINE、メールにてお気軽にご連絡くださいませ。
スタッフ一同ご依頼を心よりお待ちしております。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
トリ
金城哲夫『ノンマルトの使者――金城哲夫シナリオ傑作集』(朝日ソノラマ、1984年)が入荷しました
いつもくまねこ堂ブログをご覧くださりありがとうございます。
ウルトラセブンの展覧会が、6月23日から東京の池袋PARCO本館7Fで開催されています。2022年に放送55周年を迎えたウルトラセブンに再度注目が集まっています。
ところで、最近、次の本が入荷しました。
・ウルトラセブン第42話
金城哲夫『ノンマルトの使者――金城哲夫シナリオ傑作集』(朝日ソノラマ、1984年)です。著者の金城哲夫氏は、ウルトラシリーズの基礎を築いた脚本家として知られています。金城氏の手がけた作品には、差別や戦争責任の問題に切り込んだものが数多く存在します。そのなかでも、現在の地球人以前に地球に存在した人類「ノンマルト」との海底での戦いが描かれた、ウルトラセブン第42話「ノンマルトの使者」は、金城氏が沖縄出身であることと関係があるのかどうか、といったことが話題になることもあります。金城氏自身の沖縄戦の経験が、その後の脚本家人生に全く関係がないとは思えませんが、他方で創作で扱えるような体験であったのだろうか、という意見ももっともなことです。実際、後者のほうが、金城氏周辺のスタッフの見解として公表されることが多いようです。
「ノンマルト」の上記のような設定はすなわち、現在の地球人は「ノンマルト」を侵略して地球人となったということを意味しています。現在の地球人に追いやられた「ノンマルト」は海底人となっていました。こうした部分に、日本本土と琉球・沖縄との関係を投影する視聴者が多いのは不自然ではありません。しかしながら、金城氏とともに作品をつくり上げた方々にしてみれば、そうした単純な二重写しの作品だとは思えないということなのでしょう。いずれにしても、金城氏の真意について断言することはもはやできません。
・「海底の邪魔者」?
反対に、脚本家の真意を詮索するよりも、視聴した自分自身に対し、なぜ、あのシーンをずっと覚えているのだろう、と矛先を向けてみるとどうでしょうか。私にとってそういったシーンにあたるのが、「ノンマルト」に対し、「海底の邪魔者」呼ばわりを含め異様なほどの攻撃姿勢をみせたキリヤマ・ウルトラ警備隊隊長の様子です。この場面の映像作品でのセリフは、手元の脚本集そのままだったように思います。それが、下記です。
キリヤマ「ウルトラ警備隊全員に告ぐ! ノンマルトの海底基地は完全に粉砕した。われわれの勝利だ! 海底もわれわれのものだ!」
と、毎週出てくる宇宙からの侵略者さながらのセリフだったのです。しかも、このセリフはキリヤマ隊長のひきつった笑みとセットでした。まずもって、地球防衛軍・ウルトラ警備隊の場合、そういった血気盛んなセリフは、射撃の名人ソガ隊員や、怪力男のフルハシ隊員の吐くものだとばかり思っていました。それに加えて、キリヤマ隊長は、この場面で笑っているのです。ソガ隊員やフルハシ隊員が乱暴な言動をすることはあっても、彼らは猟奇的ではありません。
脚本を確認してみると、キリヤマの異様な勝利宣言の前に、彼の心中が明記されています。映像作品でこのシーンをみると、あっけにとられて通り過ぎてしまいますが、脚本では時が止まるような緊迫感があります。
・「ウルトラ警備隊のバカ!!」
キリヤマ隊長は、後の作品である平成ウルトラセブンで、人類のルーツについて調べていたと語られます。しかし、キリヤマ本人の登場は(俳優の中山昭二氏が撮影直前に亡くなっていたため)ありませんでした。初見では、ノンマルトの真実について嗅ぎまわっていたキリヤマが、地球防衛軍の誰かに●されたのだと思ってしまいました(作中ではおそらく曖昧に描かれていたはずです)。こういう所業をやってのける地球人は、やはり侵略者アース星人だろうと、私は固く信じていたわけです。
実際、人類の歴史には、侵略者が歴史を改ざんする、といった実例があります。それも現在からあまり遠くない時代のことで、現在にまで尾を引いている問題もあります。そういった史実に関連する書籍が入荷しましたら、この場で紹介しようと考えています。
小野坂
ジェームズ・ジョル『第一次世界大戦の起源(改訂新版)』池田清訳(みすず書房、1997年)を紹介します。
いつもくまねこ堂ブログをご覧くださりありがとうございます。
6月28日は、1914年のサラエボ事件、1919年のヴェルサイユ条約調印の日ですね。前者は第一次世界大戦の発端となった暗殺事件の日であり、後者はその大戦の講和条約の一つ(対独講和条約)です。
第一次世界大戦は、ヨーロッパ中の国民国家が、その体制全体を動員して戦い続けた総力戦となりました。ところで、この「総力戦(total war)」という言葉がどういった戦争の名であるのか、ご存じでしょうか。「総力」といっても、第一次世界大戦以前の戦争のように軍隊同士が全力で、すなわち「総力を挙げて」戦うのと、第一次世界大戦を指して「総力戦」というのとは、意味が異なるのです。
第一次世界大戦とそれ以前の戦争との違いは、大きなところでは、次の点があります。第一次世界大戦以前は事前に蓄えた兵器、兵士で戦ったのに対し、第一次世界大戦は戦いながら兵器を製造し続け、さらには新兵器も開発し、その新兵器を扱うような将校、兵士を養成していった戦争でした。
なぜ、そのような空前(絶後ではなくなった)の規模で、悲惨な戦争が起きてしまったのでしょうか。この問いに真正面から答えようとした著作が在庫にございます。
ジェームズ・ジョル『第一次世界大戦の起源(改訂新版)』池田清訳(みすず書房、1997年、原著第2版1992年)です。同書は現在2017年の新装版もあり、長年読み継がれてきた名著です。
ジョル『第一次世界大戦の起源』の大きな特徴は、まさにタイトル通りの問題を、外交、軍事、内政、国際経済、帝国主義対立といったテーマごとに開戦原因を検討している点です。ということなら同書で、上記のどの分野に問題が潜んでいたのか、その答えをジョルが述べてくれるのかな、と想像してもよさそうな気がします。さらには、分割して詳しく検討するのは、歴史研究であれば当たり前だろう、それが専門家というものだ、とお考えの方もおられるでしょう。
しかし、各章ごとの結論で示されているように、ジョルによれば、上記テーマごとの検討では第一次世界大戦の開戦原因の説明に足る決定打が見いだせなかったというのです。
そこで、外交、軍事、内政、国際経済、帝国主義対立を検討した各章に続いて、ジョルは「1914年の雰囲気」という章を設けています。「雰囲気」といってもそれこそ各国で事情が違いすぎるわけで、揃いも揃って戦争に踏み出してしまった共通の理由など、「雰囲気」研究から出てくるはずはなかろう、と思われた方もおられるかもしれません。当然ながら、それはジョルにとっては先刻承知のことであって、その点の留保に続けて彼は次のように述べています。
「いずれも場合においても、直接の物理的脅威に抵抗する唯一の手段としての戦争観はいうにおよばず、政治・社会・国際の全分野にわたる諸問題の解決策として、あえて戦争の危険を冒す、ないしは戦争を受け入れるひとつの意志が存在していたことは事実である。だからこの大戦の原因を探る鍵は、結局のところ、ヨーロッパの指導者たちやその国民の精神状況を究明することにあるといえよう」
なんということでしょう。「結局のところ」というわけですから、これが結論ジョルの下した結論だと受け取りましょう。そういうことなら、「やっぱしわかんないのか」と呆れる方が出てきても不思議ではありません。
しかし、次のように発想を転換して、ジョル『第一次世界大戦の起源』を再読してみてはいかがでしょうか。歴史研究の価値は解答よりも、むしろ新たな問いを生み出すことであり、と同時にテーマごとに勝手に切り分けるのをやめ、同時代の目線を復元するところにあるのだとしたら、どうでしょうか。『第一次世界大戦の起源』の解答を求めて読んでしまった一回目の読書とは異なる世界が広がっているはずです。
小野坂
矢部宏治『知ってはいけない――隠された日本支配の構造』(講談社現代新書、2017年)、同『知ってはいけない2――日本の主権はこうして失われた』(講談社現代新書、2018年)が入荷しました!
いつもくまねこ堂ブログをご覧くださりありがとうございます。
ところで、最近こんなニュースがありました。日米合同委員会の下部に設けられた「環境分化委員会(ESC)」の会合の映像が、在日米軍によって公開されました。日米合同委員会とは、主として在日米軍の広範な基地権に関わる日米間の合意、日米地位協定の運用に関する日米政府間会議のことです。日米合同委員会の映像が公開されたのは初めてのことだと日本の外務省は表明しています。
※「極秘会議」の映像を在日米軍がツイッター投稿 PFAS問題を意識? 日米合同委員会の環境分科委員会(東京新聞、2023年6月23日)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/258619
今回は、「日米合同委員会」の名を有名にした、ある本を紹介したいと思います。
矢部宏治『知ってはいけない――隠された日本支配の構造』(講談社現代新書、2017年)、同『知ってはいけない2――日本の主権はこうして失われた』(講談社現代新書、2018年)です。著者の矢部氏は、書籍情報社代表の編集者で、日米安保に関する重要な研究を、創元社発行のシリーズ、「『戦後再発見』双書」から続々と世に出してきた方です。
そのスゴ腕編集者の矢部氏自身の著書として刊行されたのが、上記画像の2冊になります。具体的な内容は、大変読みやすく書かれた同書を実際にお読みいただければと思います。この場であえて、同書の特色を記せば、次のような点が思い浮かびます。
それは、矢部氏が日米間の条約や行政上の取り決めを読み解くにあたって、「ただし」あるいは「その他」、「など」といった英文記録の細かい点、さらには日本の外交文書の筆跡の違いから、矢部氏が「隠された日本支配の構造」と表現した大きな謎に接近していることです。
英文については、主節の内容をゴッソリひっくり返してしまうような仮定法や条件の記載、あるいは変な目的語が存在するというのです。そういったことの目印になるのが “otherwise”(そうでなければ、ただし、といった意味で出てきます)や、定冠詞theのない単語に付された不自然な複数形の “s”に含まれるであろうわけのわからない取り決めだというのです。
日本の運命は、一文、さらには一文字で決定されてしまうのです。この恐怖を、ぜひ矢部氏の著作や、矢部氏が担当された諸書籍で知る方が、できるだけ多くなってほしいと願い、こうして紹介しようと考えました。「知ってはいけない」は、これまでの話です。日米安保の構造を矢部氏が明らかにした以上、それは「知ってはいけない」のではなく、「知らなくてはいけない」ことのはずです。
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くまねこ堂では、古本やDVD/CDの他にも、古道具や骨董品、アクセサリー、切手、万年筆、レコードや古いおもちゃなどなど、様々なお品物の買取も行っております。ご処分をお考えの方、またご整理などでお困りのお客さまは、是非くまねこ堂までお申しつけ下さいませ。いろいろなご提案ができるかもしれません。
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小野坂
春日部市にて古本・古銭などをお譲りいただきました!
先日は埼玉県春日部市へ出張買取に伺いました!本棚に入った本のご整理をメインに、その他にも買取できる物を様々お見せいただきました。
平凡社ライブラリー、特撮、SF、山の本、フィギュア、バービー人形、お菓子のおまけ、レコード、カセット、CD、メダル、コイン、古銭など様々なお品物をお譲りいただきました。大切に扱われていたお品物をお譲りいただき、ありがとうございました!
また当店では本だけでなく様々な物にお値段を付けさせていただいており、むしろそちらの方が高値で買取させて頂ける場合も少なくありません。
今回はレコード、カセット、CD、フィギュア、バービー人形、お菓子のおまけ、メダル、コイン、古銭などがそれらに該当いたします。
本のご整理の際に併せてお見せいただけると、思いがけず良いお値段が付けられるといったこともございます。ぜひ気になる物がございましたらお気軽にご連絡下さい!
古本だけでなく、レコード、CDなどライトな物からコレクターズアイテム、中国、日本の骨董など硬派な物、知識の要る物まで幅広く査定することができるのがくまねこ堂の一番の強みです!ちょっとした可愛いフィギュアなども嬉しいです。
お気軽にお電話いただけると幸いです。本日もお読みいただきありがとうございました。
小野
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くまねこ堂では、様々なお品物を買取させていただいております。古本はもちろんCD・DVD、レコード、切手、古銭、美術品、古いおもちゃ、ゲームソフトなど幅広いジャンルの品物を同時に査定することができます。
ご処分ご整理にお困りのお客様は是非一度お電話やLINE、メールにてお気軽にご連絡くださいませ。
スタッフ一同ご依頼を心よりお待ちしております。
足立区にて即日出張買取・古本の無料回収をさせていただきました!
先日は東京都足立区へ即日出張で、古本の無料回収をさせていただきました。
出張買取からの帰りの車中でお電話をいただき、タイミングも良く、その後30分ほどで現地の方に向かわせていただきました。
「引っ越す予定で片付けていたが、一人じゃとても運べない量の本が押し入れの中から出てきた」とのことでした。
お電話から、実際に運び出すのも含めおよそ1時間程度で、スピーディーに終わらせることができました!こういったフットワークの軽さも当店の強みの一つではないかと存じます。ぜひお気軽にお電話いただけると幸いです。
獣医学、生物学、専門書、学術書といったジャンルの本がメインでございましたが、当店で査定することができないジャンルというものは基本的にはございません。ぜひ様々な本をお見せいただければと思います。
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また現在当店では江東区限定・6月限定で古本回収サービスをさせていただいております!
即日出張買取についてはいつでも大歓迎です!
詳しくはこちらをご覧ください。
【即日出張買取】お受けします!並びに【古本回収サービスのご案内(江東区限定・期間限定)】
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余談ですが僕には猫を飼っている弟がいて、彼に先日「犬派・猫派」というもはや古典の域に入っている話題を持ち出されました。実はこれ侮ってはいけなくて、古典になるだけある以外に味のするトピックであることに驚かされました。
今回たまたまかもしれませんが猫に関する本の方が圧倒的に多く、また実際に出版されている数としても多いのではないかと思いました。『作家と猫』という平凡社から出ている本がありますが、本と猫というのはやはり相性が良いものと思わずにはいられません。
くまねこ堂という名前に恥じなく店主、従業員共に猫好きが集まっております。猫や動物がご縁で買取のご依頼を受けることも少なくございません。
買取につき「ちょこっと猫の手募金」という寄付も行っております。そういった面でも当店にご興味を持っていただければと思います。本日もお読みいただきありがとうございました。
小野
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『尾崎秀実時評集――日中戦争期の東アジア』米谷匡史編(平凡社、2004年)が入荷しました
いつもくまねこ堂ブログをご覧くださりありがとうございます。
以前の投稿では、第二次世界大戦の歴史に関して、とくに核兵器の開発や、戦時の人種差別を扱った書籍を紹介しました。
今回は、1937年7月7日以降の日中戦争に対し、日本人はどのように考えていたのか、という点を取り上げたいと思います。ちょうど、判型はコンパクトですが、予想以上に広範な問題が濃密に論じられている以下の1冊が入荷しました。
平凡社のシリーズ、「東洋文庫」の第724号に収められた『尾崎秀実時評集――日中戦争期の東アジア』米谷匡史編(平凡社、2004年)です。尾崎秀実(1901―1944)とは、数々の鋭い中国評論で著名な昭和戦前期の朝日新聞記者です。さらに、朝日新聞社を退社した1938年、尾崎は近衛文麿内閣の嘱託という形でより時局に関与していきます。もっとも、彼の名前が今日でも有名なのは、別の理由によるのかもしれません。「ゾルゲ事件」なる1941年10月に発覚した日ソ間のスパイ事件については、詳しくは知らないもののどこかで聞いたことがある、という方もおられるかと思います。この事件で逮捕された日本人共産主義者のスパイが近衛首相側近の一人の尾崎であったために、様々な憶測が生まれてきたわけですが、他方で力作のドキュメンタリー作品が放送されたりもしています。
そういうわけで、尾崎秀実については、ソ連側に通じていた首相側近のスパイの逮捕という何やら醜聞めいた事件の主人公、といったような偏ったイメージが先行していた一面もあるように思われます。そんな中で、2004年に刊行された尾崎選集である『尾崎秀実時評集――日中戦争期の東アジア』は、編者の米谷匡史氏による優れた解説とともに、上記の偏った尾崎イメージの修正を広く一般に迫るものではなかろうか、と思うほどの重要な1冊です。米谷氏は尾崎が発表した評論について、「言論統制による厳しい制約のなかで書かれたテキスト群だが、その限られた条件のなかで、尾崎の『時代認識』は凝縮された形で提示されている」と述べています。そうまでして尾崎が執筆した評論を、私たちはどのように扱ってきたのでしょうか。やはり、米谷氏が上記に続けて喝破したように、「公然と眼の前におかれたものが、かえって見過ごされがちであるように」、尾崎の論説を無視してきたのではないでしょうか。
たとえば、昭和戦中期に一世を風靡した議論である「東亜共同体」について尾崎にはどのように考えていたのでしょうか。
尾崎のテキストに入る前に「東亜共同体(ないし東亜共栄圏)」について略記しておきます。「東亜共同体」とは、日本を盟主とする東・東南アジアの広域経済圏の構想であり、日本の侵略戦争を正当化した概念である、といったように現在では一般に捉えられているものと思われます。こういった理解は、日本の戦争責任を問う意味でも足蹴にしてはいけないものです。しかしながら、戦争を直接に体験したことのない平成初期生まれの私からすると、同時代の人々が戦争にどう向き合ったか、ということについて、やや一面的に断罪してしまう見方にも注意を払っていきたいという思いもあります。もし、昭和戦中期の歴史を教訓にしたいのなら、安易に断罪することは避け、当時の人々の苦しみや試行錯誤を追体験しようとする態度も必要なのではないか、と私は考えています。
以上の問題関心から『尾崎秀実時評集――日中戦争期の東アジア』の読解に取り組んだこともあり、尾崎が残した次の一節が目に留まりました。尾崎は1941年3月号の『改造』に掲載された記事「東亜共栄圏の基底に横たはる重要問題」において、「東亜共栄圏確立のため」には、「中心課題」と思われている「民族問題」と「農業問題」両者の「緊密なる連関」に注意を払って考察することが、さらに「中心の問題」となってくると論をまとめつつ、次のように呼びかけて締めくくっています。
「然も尚この事は日本自身の自己革新とも直接に関連を有つことなのである。凡ゆる困難を賭しても新しき東洋を建設せんとする日本は、自己革新と結びつけることなくしては、東亜諸民族の正しき結合による新秩序創建の偉業を直ちに達成し得ないことを、銘記すべきであると信ずるのである」
平時にはなし得なかった日本社会の変革を戦時下にあって実現し、その上で戦争の原因を根本的に取り除こうとするかのような、上記の一節に、現在の私たちはどのように向き合えばよいのでしょうか。反戦の訴えは、その実現を担保する制度的な根拠を持っているでしょうか。そして、このような問いは、同時期の英米においても盛んに議論されていたことにも目を向けるべきだと考えます。この点に関して、敵国のイギリス人が書いた洋書を戦時下の日本で読んだある人物は、その本の内容を評して「その通りだ」と隠れて泣いた、という話もあります。このような一節、一挿話から、当時の日本人の苦悶を多少ながら追体験する形で、あの戦争の歴史を考えていこうと思っています。
戦中期の日本人が取り組みつつ、敗戦と同時に忘れ去られた苦悩の歴史が、『尾崎秀実時評集――日中戦争期の東アジア』には数多く含まれているようです。同書に採録されたテキストは、むろんスラスラと読めるようなものではないではありません。しかしながら、毎年7月7日、8月15日はやってきます。何らかの形で個人的に引っかかる部分にしがみついて、考えるきっかけをつかむべく、尾崎秀実の読解に取り組まれてはいかがでしょうか。
小野坂
藤永茂『ロバート・オッペンハイマー――愚者としての科学者』(ちくま学芸文庫、2021年)が入荷しました~ノーラン映画「オッペンハイマー」の予習
いつもくまねこ堂ブログをご覧くださりありがとうございます。
ところで、クリストファー・ノーラン監督の最新作「オッペンハイマー」が話題になっていますね。オッペンハイマーとは、原子核理論など多くの分野で活躍したアメリカの物理学者のロバート・オッペンハイマー(J. Robert Oppenheimer)のことです。ノーラン新作は映画.comの記事によると、「第二次世界大戦中にマンハッタン計画を指揮し、原子力爆弾の開発に成功したオッペンハイマーの栄光と挫折、苦悩と葛藤を描く作品だ」と紹介されています。
※「オッペンハイマー」はノーラン作品最長の3時間(映画.com、2023年5月25日)
https://eiga.com/news/20230525/6/
核兵器が使用される可能性が取りざたされている一方で、核兵器廃絶へ向けた活発な動きもみられます。今年は、G7(※)が広島で開催されたこともあり、日本国内でも普段以上に核兵器への関心が高まってきていると思われます。
※いわゆる主要7か国首脳会議、ただし英語表記には主要、あるいは先進という意味の単語は含まれていません。
そこで、核兵器の起源に関する歴史に迫る、ある人物評伝を紹介したいと思います。ちょうど、そして1941年からの日米戦争(アジア・太平洋戦争)の全体像について考える際に重要となってくる観点を提示した、あの本も同時に入荷したので、こちらの話もふれていきたいと思います。人物評伝という個人への注目と、人々を取り巻く当時の時代状況の両面あわせて、かつての戦争に対し自分なりに向き合っていくきっかけとして、次の2冊を挙げたいと思います。
藤永茂『ロバート・オッペンハイマー――愚者としての科学者』(ちくま学芸文庫、2021年、初出1996年)、ジョン・W・ダワー『容赦なき戦争――太平洋戦争における人種差別』(平凡社ライブラリー、2001年、原著1986年)です。重要な研究がこうして文庫化され、入手しやすくなっています。あるいは、初版や原著を苦労して手に入れ、必死に読んだという経験をお持ちの方もおられるかもしれません。
藤永『ロバート・オッペンハイマー』は、「原爆の父」と呼ばれるようになったオッペンハイマーの評伝です。本書は、原爆についで水爆が実現することに罪悪感を覚え、水爆開発に反対の意思を表明したオッペンハイマーの生涯について、豊富な史料に基づいて論じた重要な研究といえます。核兵器の専門家が核兵器に反対した歴史は、個人の生涯を理解する上でも、その個人を取り巻く時代状況を考える上でも劇的な展開に思われます。
なお、核兵器を開発したオッペンハイマーとあわせて、核兵器を用いた安全保障の現場にいた人物が、核兵器の存在を批判するようになった例も、ここでふれておきたいと思います。その人物とは、元イギリス海軍将校のロバート・グリーンであり、彼の著作は『核抑止なき安全保障へ―核戦略に関わった英国海軍将校の証言』大石幹夫訳(かもがわ出版、2010年、原著は2018年に新版が出ています)などいくつか翻訳が刊行されています。
自分が片棒を担いだ暴力に対して抵抗を試みた先人の軌跡は、現在の私たちが追跡に値する重要な歴史だと思われます。こうした意味で紛れもなく専門家の、オッペンハイマーやグリーンの主張に対し、真剣に耳を傾ける時に来ています。
上記の評伝に対して、ダワー『容赦なき戦争』は、個々人を取り巻く時代の風潮、とくに軍事的な判断を歪める偏見を浮き彫りにした研究といえます。そのような偏見としてダワーは、人種差別を取り上げています。戦争こそ、科学的に、合理的に物事が進行していく場面だと思ってしまいますが、そうした判断の根拠を台無しにする形で、相手国の国民や民族を蔑視する言説が何やら科学的な装いで流布されていたのです。核兵器の使用をめぐって、こうした歪んだ判断が下されるはずがない、と誰が明言できるでしょうか。
その意味でも、核兵器開発、あるいはその運用の責任者の一人であったオッペンハイマーやグリーンの生涯を知ることは極めて重要と思い、こうして取り上げました。
小野坂
ブルースの世界にまつわる本のご紹介です♪ #音楽書籍 #リットーミュージック
じめじめした嫌な天気が続きますね。本当につらいです。
洗濯物は乾かなくて生乾き臭がひどいし、毎日蒸し暑くてぐったりしてしまうし、今朝は食べようと思っていたパンにカビが生えていました。
梅雨なんて、いいことひとつもありません。
梅雨が明けても地獄のような夏が待っているだけだし…。
終わりのない憂鬱な日々です。
…おや?このぼやき、なんかブルースっぽくないですか??
いやそもそもブルースって何って話?なんか古くて暗くて哀愁あるイメージ?
ギターのソロが延々と続いていて歌は何言ってるかわからない??
というわけで(?)、本日はブルースについての本をご紹介いたします!
「意味も知らずにブルースを歌うな!」小出斉
2016年 リットーミュージック
私事で申し訳ないのですが、私はくまねこ堂で働きつつ、ドラマーとしての顔も持っておりまして🥁
血気盛んな20代の頃はセッションに乗り込む日々を送っていて、ブルース系のセッションにもよく参加していました。
とはいえ、ブルースセッションは曲を知らなくてもキーやリズムパターンさえ決まればどうにか演奏できてしまうものなので、実はほとんど何も知らない状態で当時は演奏していました(恥)
英語にも疎いものですから、なんとなく「クロスロードがなんとかって言ってるな…」「故郷のシカゴのことを歌ってるな…」ぐらいの内容しか理解できず(恥)
この本を見かけた時、ボーカルではないのに自分が怒られた気がしてドキッ!!としてしまい、反省の気持ちも込めて手に取らせていただきました🙏🏻
本書で紹介されているのは、ブルースセッションでの定番曲から、ちょっとマニアックな曲まで、全部で28曲。
失恋の苦しさを叫んでいたり、酒浸りな人生を嘆いたり、死刑囚の最後の晩餐の曲まで(!)色々あります。
「はじめに」を読むと、タイトルの厳しさとは裏腹に、私のように無知なままブルースを演奏する人を優しくたしなめるメッセージが🔎
↑定番曲中の定番。フーチー・クーチー・マンの解説。
なかなかエロスな内容なのでここでは詳しくは触れません✋
この曲にもでてくる“サラバガン”という単語が私はずっと気になっていたのですが、これはson of a gun→とんでもないすごいやつ、という意味なんだとか。
また、これも同じくブルースのスタンダードナンバーであるストーミー・マンデーに出てくるeagleという単語。そのままだと鳥のワシなのですが、ドル札に印刷してあることから、「ワシが飛んでくる」で給料日を指すとのこと。初めて知りました😮
ブルースの曲の歌詞には古い単語だったりスラングも多く使われているので、本書には英単語を学べる本という裏テーマもあると、本文に書いてありました。
(刺激の強い隠語も多いので、真面目な中学生が勉強に使うのにはおすすめできない気がします…笑)
本をめくりながら、最近すっかり足が遠のいてしまったブルースセッションがだんだん懐かしくなってきました。
でも、ここ何年かの間にかつて通っていたお店がなくなってしまったり、セッションの開催をやめてしまっていたり、昔とはだいぶ状況が変わってしまったと聞きます。
常連だったおじさま達も何人かは東京から去り、何人かは天国へと旅立ち…。切ないです。
もうちょっと過ごしやすい季節になったら、久々にブルースセッションに行ってみようかしら💨
もちろん、今度は歌詞の世界をしっかり勉強したうえで…
本日は、ブルースを演奏する人にも聴くだけの人にも、歌う人にも歌わない人にも、おすすめの一冊のご紹介させていただきました👍🏻
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
ポエ
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