買取事例
『1960年版 日本輸出雑貨著名業者総覧[1960 SUPPLIERS LIST &TRADE MARK IN JAPAN] 』など商報社刊の昭和の玩具業界に関する本が入荷いたしました
先日は墨田区の歴史ある玩具業界の会社様からのご依頼で、古本やその他玩具業界の資料などのお見積りをまず出させていただき、その後出張買取に伺いました。
様々な貴重な資料があり、少し当時の業界のことが分かりました。
その中から今回は『1960年版 日本輸出雑貨著名業者総覧[1960 SUPPLIERS LIST & TRADE MARK IN JAPAN] 』『昭和30年度版/1960年度版全国玩具人形商工名鑑』の計三冊のご紹介です。
左端の『1960年版 日本輸出雑貨著名業者総覧』が個人的には見ていて楽しかったのでまずは。
では発行の言葉を読んでいきましょう。
“躍進”という言葉が、ぴったり当てはまるのが、第二次大戦後の、日本における、輸出雑貨業界の現状であります。
以降より読み取れるのはやはり日本玩具業界が成長期にあったということでしょう。
商報社は月刊「貿易商報」(おそらくは貿易関係の業界紙なのでしょう)を発刊していた会社で、今回ご紹介する『日本輸出雑貨著名業者総覧』も同様に業界向けの業者案内のようなものかと思われます。
現在ではインターネット上でその会社の評判やら実態といった情報はある程度得られますが、おそらくはその役割を果たしていたのでしょう。
またさらに、業者名がずらりと並んだ後にはまた「正しい商品のシンボル」といわれる商標も記載されています。こちらはやはり商品の顔ともいえる物で、練られているのが感じられます。今見ても可愛らしいデザインの物がたくさんあり、見ていて楽しいです。
その他は広告ページの雑多感、手作り感がすごく良かったので最後に何枚かご紹介いたします。
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くまねこ堂では、古本やDVD/CDの他にも、古道具や骨董品、アクセサリー、切手、万年筆、レコードや古いおもちゃなどなど、様々なお品物の買取も行っております。
ご処分をお考えの方、またご整理などでお困りのお客さまは、是非くまねこ堂までお申しつけ下さいませ。いろいろなご提案ができるかもしれません。
お電話またはメールフォーム、LINEにて、まずはお気軽にお問い合わせ下さい!スタッフ一同心よりお待ちしております!
小野
レコードやCD、音楽機材などを買取いたしました!
本日もくまねこ堂ブログをご覧いただきありがとうございます。
先日は東京都世田谷区にご遺品買取に伺いました。
業者さまと連携して、ごみを片付け家の中を空にするところまで行い、レコードやCDを買取させていただきました。
ご依頼主さまからは数か月前に買取のご依頼をいただきまして、そのご縁ありましてこの度お片付けのお手伝いをさせていただくこととなりました。
ご依頼いただき誠にありがとうございました。
Shure SE215です。
私も同モデルのSpecial Editionを愛用しています。
Shure SE215を使用してみると、音の味付けは少なくクリアで忠実な感じがしました。そのため、モニター用はもちろんリスニング用のいずれの場面でもかなり好印象のイヤホンに違いありません。
また、所謂「Shure掛け」で装着することでタッチノイズが劇的に減り、屋外や演奏時でもストレスなく音を聴くことができます。
YAMAHA VOCALOID3です。
いま最前線で活躍している音楽クリエイターはボカロP出身の方が多いような気がしています。
このVOCALOID3が2011年発売だったかと思うので、そんな方々が最初に手に取ったのがこれだったのかなぁなどと考えました。
くまねこ堂では古本はもちろんCD・DVD、レコード、美術品、古いおもちゃ、切手、古銭、アクセサリーなど幅広いジャンルの品物を同時に査定することができます。
ご整理やご処分でお困りのお客様は是非一度お電話やLINE、メールにてお気軽にご連絡くださいませ。
スタッフ一同ご依頼を心よりお待ちしております。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
トリ
東京都中央区に出張買取に伺いました。
東京都中央区に出張買取に伺いました。
中国文学、中国古典、歴史学、全集、思想哲学系の本、落語CD、DVD、などをたくさん頂きました。ありがとうございます。
小松左京全集もいただきました。
昭和の物より平成の全集の方が揃っていたり、出回っていることが少ないので価値があるそうです。平成に出された小松左京の本をこれだけそろえるのは大変だったのではないかと思います。
小松左京といえば『日本沈没』や『首都喪失』などの有名どころしか知らなかったのですが、こんなにも作品があったのですね。調べてみると、漫画や脚本も執筆していたようです。また、日本SF会を代表する作家でありながら、1999年の国際花と緑の撥乱会の総合プロデューサーとして活躍したり、高島忠夫とバンドを組んでバイオリンを弾いていたり、ジャーナリストとして活躍したりと幅広いジャンルに渡る知識人、作家であったようです。
買取に行くと新たな発見があって面白く、興味の幅が広がります。
寺
「カーザ・ヴェルディ 世界一ユニークな音楽家のための高齢者施設」のご紹介🎹♬ #クラシック音楽
湿気と寒暖差の激しさがつらい毎日ですね。
憂鬱な梅雨が終わったら、地獄の夏の始まり…。
今年の夏は、水出しコーヒー作りに励むことでどうにか乗り越えたいと思っています。
さて、本日は最近買い取らせていただいた本の中から、こちらの1冊をご紹介したいと思います。
「カーザ・ヴェルディ 世界一ユニークな音楽家のための高齢者施設」著・藤田彩歌
こちらはイタリア・ミラノにある、音楽家ばかりが暮らす高齢者施設「カーザ・ヴェルディ」に入居することになった20代の音楽院生のエッセイです。
一流音楽家のみが入居を許されているという特殊なこの施設は、ミラノ市内で音楽を学ぶ音大生を16名まで受け入れており、かつて最前線で大活躍していた音楽界の大先輩たちと熱い志を持った若者が、一つ屋根の下で生活を共にしているんだそうです!
それだけ聞くと、なんて素晴らしい環境なんだ!と単純に羨ましく思えたのですが、本書を読んでいくと、なかなか大変な場所であることがわかってきます。
まず信じられないことに、こちらの施設。
防音室がないのです…!!
生活している部屋はもちろん、「練習室」とされている部屋も外に音は丸聞こえ状態。ガラス張りの部屋もあるというのだから驚きです。
プロの現場で長年活躍してきた大先輩方に聞かれながら練習するなんて、それはもうほぼ本番と同じくらいの緊張感なのでは…?(笑)
「本番は練習のように、練習は本番のように」とはよく言いますから、練習環境としては素晴らしい場所なのかもしれません。ハートが鍛えられそうです。
そして、カーザ・ヴェルディでは食事の時間も一切気を抜けません。
入居者は、朝昼晩と三食を施設の食堂で食べることができるのですが、そこはシャンデリアや絵画が飾られた高級レストランのような空間で、食堂に来るときは皆ほぼ「正装」。女性は朝からばっちりメイクをして、男性はタキシードやスーツにネクタイでやってくるんだとか。
(そもそも自分の部屋から出るときはスリッパや短パン、ダメージジーンズは禁じられているとのこと!!厳しい!!)
お国柄という面もあるかもしれませんが、やっぱり歌手だったり楽器奏者だったり、ステージの上に立ち続けてきた人達ならではの美意識の高さなのでしょうか。
いくつになっても「見られている意識」を持ち続けてお洒落に手を抜かないでいると、いつまでも若々しくいられそうですね。
しかし、個人的にはごはんの時はリラックスしてのんびり食べたいかも…(笑)
この素晴らしい施設、カーザ・ヴェルディは、オペラ「椿姫」や「アイーダ」で有名なイタリアの作曲家ジュゼッペ・ヴェルディが、100年以上前(!)に私財を投じて設立しました。
自身も貧しい時代を経験したことのあるヴェルディが、落ちぶれた老後生活を送っていたり、家族を持たない元一流音楽家たちを救いたいという強い想いから計画したとのこと。
どこまでを「一流」とするかの審査基準には明確な決まりはないそうです。
だから、現役時代に大成功を収めた音楽家のところには、引退後も取材がたくさん来たりしますが、そんなに有名ではなかった音楽家は、注目度の違いを感じながら生涯を過ごすことになるという、ちょっと残酷な一面もあるのです。
とはいえ、入居者たちが寄付した膨大な楽譜や音源のある図書室やコンサートホールがあって、セッションの相手が常に傍にたくさんいるというこの環境は、音楽をやっていた人間にとっては本当に最高な場所だと思います。
自分も楽器をやっている人間なので、数十年後にこんな素敵な老人ホームが日本にも出来ていたら、入居してみたいな~と思いながら読みました。
老後も元気にやりたいことをやるためには、日頃の健康管理が大事ですね。
今から夏に負けている場合ではないのです…!!(笑)
元気なお年寄りになるぞ!!
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ポエ
「命なりけり」―『新編日本古典文学全集11 古今和歌集』から―
半袖Tシャツを買いました。新しい服を買うといつ着ようかなとわくわくします。
暑い夏が来るのは憂鬱ですが、そのような楽しみを見つけて乗り越えていけたらいいのでしょうか。どれだけ長生きをするとしても、無数には夏を経験することはできませんから。嫌がっているだけではもったいない気がします。それぞれの夏は一度きりで、もう二度とない。
そのような思いにふけっていたから、こんな歌を思い出しました。
題知らず 読み人しらず
春ごとに花のさかりはありなめどあひ見むことは命なりけり(古今集・巻第
二・春歌下・97)
(春がめぐり来るごとに、花の盛りはきっとあるだろうけれど、私がその花
と相逢うことができるかどうかは、それにふさわしい命が私に恵まれてい
るかどうかのことだなあ。)
『新編日本古典文学全集11 古今和歌集』(小沢正夫・松田成穂・校注・訳、1994年、小学館)から引用しています。
この頭注を参考にすれば、「花を擬人化して人間同士(多くの場合、男女)が逢うことにたとえた歌。」とのことです。
季節は違いますが、季節を感じる中で自分の命について考えてしまうのは、ずっと昔から変わらないのですね。「命なりけり」と結ぶことで、こちらに感慨の深さが迫ってきます。
この「命なりけり」は「慣用句とみられる」とこれまた頭注にあります。導かれるままに、古今集で「命なりけり」が使われている別の歌のページを開いてみます。
ふかやぶ
今ははや恋ひ死なましをあひ見むと頼めしことぞ命なりける
(今はもう、死ねるものなら恋い焦がれて死んでしまいたい。「逢いましょ
う」と、期待をもたせてくださったお言葉だけを命の支えとして生きてきた
私だったのだから。)
この「命なりけり」は真心からでもあるし、そうでもないとも言える気がします。あなたときっと逢えると思えることによって生きてきた命なのだった、もうそれができないなら死んでしまうのだ!という過激さは、それまでの言葉が「命なりけり」に結びつくことでうまれていますが、むしろ「命なりけり」という慣用句に何をどう上手に結びつけるかという遊びでもあるのかもしれません。現代語訳にすれば結構すごい感じなのかもしれないですが、みんながよく使ってる言葉に収めているのだから、実はありふれたやりとりの内なのかもしれない。でもその言葉を使うことで激しさを装う、言葉で装うならそこに真実も宿っているともいえるでしょう。
いやあ、和歌の専門家でもなんでもないのにしゃべってしまい恥ずかしいことです。知識のある方に訂正いただければ幸いです…。
ぼんやり眺めているだけで和歌集は楽しいものです。そしていろいろ考えてしまいます。冒頭自分は、季節を感じることで自分の生命について思ってしまうあり方の、古典の時代との共通性を話しましたが、でもそこで「命」という言葉が負うものは時代によって異なっているのでしょうか。もちろん、通底するものはあるはずです。しかし、現代、生命は化学反応の集合であるとか、素粒子の組合せの一つでしかないとか、自分のクローンも作れるとか、AIで亡くなった人を再現できるとか(様々なこと、あまり詳しくないまま述べています…)、そんな情報にさらされる中での「命」は、過去の人々が持っていた不定感から別のフェーズに入っているのかもしれません。いやむしろ、人間はいつだって自分が卑小で不確かな存在であることに向き合ってきたし、これからもその事実に対峙しなければならないのだ、とも言えるのかもしれませんが。
「命」という言葉の変遷を辿るのは、なかなか難しいし収拾はつかない予感はしますが、問題意識としては持っておきたいと思いました。まあ、そんなことを考えつつ、何もできないまま私の夏は過ぎていくということです。
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コトー
東京国立博物館「特別展 古代メキシコ」のご紹介
本日もくまねこ堂ブログをご覧いただきありがとうございます。
今回は東京国立博物館にて6月16日~9月3日の会期で行われれる「特別展 古代メキシコ マヤ、アステカ、テオティワカン」をご紹介いたします。
本展ではおよそ3千年に及ぶメキシコの古代文明を「マヤ」「アステカ」「テオティワカン」の3つの文明から厳選した出土品で紐解きます。
「羽毛の蛇神石彫」はケツァルコアトルを象ったものかと思われますが、この蛇神は水や作物の神とされていました。
蛇を豊穣の神としたのは作物に欠かせない水に関連し、河川が蛇行する様を蛇に見立てたということや多くのヘビが湿気を好むことが考えられますが、これは日本の出雲周辺に伝えられる栗花落左衛門をはじめとした伝承と繋がる部分があります。
また、ケツァルコアトルは後の時代では人類に知識を与えた神とされました。
日本にも蛇が薬草・毒草についての知識を持っているというような民俗伝承が残る地域があり、こちらも興味深い一致が見られます。
南米の遺物は派手な色使いがとても魅力的に感じます。
造形的には可愛らしくも不気味にも見える抽象化の手法が、アジアやヨーロッパとは全く異なる文化の中で生まれたのだということを強く印象付けます。
最新情報は以下の公式サイト等でご確認ください。
公式サイト:https://mexico2023.exhibit.jp/
公式Twitter:@mexico2023_24
くまねこ堂では古本はもちろん、美術品、骨董品、CD・DVD、レコード、切手、古銭、古いおもちゃなど様々なジャンルの品物を同時に査定することができます。
ご整理にお困りのお客様は是非一度お電話やLINE、メールにてお気軽にご連絡くださいませ。
スタッフ一同ご依頼を心よりお待ちしております。
トリ
東京都台東区に買取出張に伺いました。
東京都台東区に買取出張に伺いました。
リカちゃん人形、不二家のペコちゃん等のおもちゃ、油絵、日本画、版画、リトグラフ、ノベルティ、ギフト、カタログを買い取らせていただきました。
また、週刊玩具通信をまとめた冊子をたくさん頂きました。
1965年から50年以上に渡り、玩具業界の情報を週刊で伝えているタブロイド版の業界紙で、これまでに約6000部以上発行されています。
売れ行きの高いおもちゃのランキングです。
昭和48年は、ミニカーが人気だったようです。タカラトミカ、この頃から不動の人気ぶりが伺えます。
4位のジャンボマシンダーシリーズでは、マジンガーZがセンセーショナルでした。
約60センチという規格外な大きさで、大人気かつ発売時期が長かったため、バリエーションは多数存在しています。
海外でもショーグンウォリアー (Shogun Warrior)として発売されました。
レアなアイテムによっては100万以上の値がつくそうです。
トミカの「フェアレディ―Zケース」の広告です。
スーパーカーブームの時にもてはやされていた、日産のフェアレディ―Zのトミカです。
フェアレディーZは今では7代目ですが、これは初代フェアレディーZ(240ZG)がモデルだと思われます。個人的には初代のカタチが1番好きです。
全長35cm程で14台のトミカを収納することができ、持ち運び用のハンドルが装備され走行も可能だったようです。
1975年頃にはパトカータイプも加わり、併売されていましたが、1976年頃にはパトカータイプのみとなり、1978年頃まで販売されました。
当時の定価は1,300円ですが、今ではそれよりも高い値がついています。
「アストロミュー5」です。腹部と背中のボタンで、YES or NOの首振りアクションや、付属のフライングアダプターを背中に装着すると空中に張ったヒモを使って飛行シーンを再現出来きたそうです。
アストロミュー・シリーズは今でも多くのファンを持つ一方で、市場に出回っているアイテムの絶対量が多くないため、状態の良い商品は高額で取引されたり復刻品が出されたりもしています。
今ではあまり見ることのないおもちゃ達にわくわくします。
私は、リサイクルショップやトイザらス等の情報量の多い店を、あてもなくぶらぶら物色するのが好きなのですが、つい要らないものを買ってしまったりします。
流しそうめん機だったり、ネコの置物だったり、ついこの前はシャボン玉を一気に大量に作り出せる蛙の形の電動マシーンを。
子供の頃、親にねだっても買ってもらえなかったような必要のない物を自分の気分と自分の財布で買えるのが大人の特権です。
そうして部屋でほこりをかぶっていく流しそうめん機達が、フェアレディ―Z、ジャンボマシンダー、アストロミュー5のように何十年か後に価値が出ないかと期待してみます。
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寺
昭和天皇に関する歴史研究の書籍が入荷しました。
いつもくまねこ堂ブログをご覧くださりありがとうございます。
昭和天皇に関する歴史研究の書籍が入荷しました。
山田朗『昭和天皇の戦争――「昭和天皇実録」に残されたこと・消されたこと』(岩波書店、2017年)、豊下楢彦『昭和天皇の戦後日本――〈憲法・安保体制〉にいたる道』(岩波書店、2015年)。刊行時期は前後しますが、前者がアジア・太平洋戦争までのいわゆる戦前、後者が戦後の昭和天皇史になります。
『昭和天皇の戦争』の著者、明治大学教授・山田朗氏は近現代日本の軍事史の第一人者の一人です。一方、『昭和天皇の戦後日本』は、昭和天皇による「天皇外交」の実態を明らかにしてきた、元関西学院大学教授の豊下楢彦氏の執筆です。豊下氏は、敗戦国である日本、イタリアの占領管理体制を検討した研究もございます。著者の専門分野に異なる部分はあれど上記2冊は、山田氏は戦前日本の戦争を扱い、豊下氏が戦後の日米安全保障の問題に取り組むという形をとっており、ぜひとも併読すべき著作だといっても過言ではありません。
この2冊の刊行で、軍事・外交史における昭和天皇の役割が、現在の研究水準で通史的に論じられることになったと思われます。そのように考えまして、この場で紹介いたしました。
くまねこ堂では様々なお品物を扱っております。それらお譲りいただきました品々を、なるべくタイムリーな形で当ブログにて紹介してまいります。また、書籍・古道具などのご処分をご検討の際は、是非くまねこ堂までお申しつけ下さいませ。
小野坂
山地としてる『ブタとともに』(青幻舎、2021年)が入荷しました(ˆ(oo)ˆ)
いつもくまねこ堂ブログをご覧くださりありがとうございます。
ところで、ブタはかわいいですね。σ( ̄(●●) ̄)
しかも、ブタが賢い動物であることは、近年知られるようになってきました。最近では、ブタは私たちの苦境を救ってくれる存在であることが示されつつあります。たとえば、以下のニュースがございます。
※「ブタが耕す!?」山肌で放牧をする意外なワケとは?(NHK NEWS WEB、2023年3月6日)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230306/k10013999521000.html
「耕作放置地」を好奇心旺盛なブタが歩き回って、あの鼻を活用しつつ耕すのだそうです。ブタたちを狭苦しい豚舎に押し込めている場合ではありませんね。
タイムリーにも、以下の写真集が入荷しましたので、それを紹介したいと思います。
山地としてる『ブタとともに』(青幻舎、2021年)です。同書はAmazon商品ページの概要欄によりますと、香川県三豊市の養豚場を舞台とした「写真集『ブタとおっちゃん』(2010年、フォイル刊)で話題になった作品群から、未収録写真を多数掲載」した作品とのことです。
養豚場の「おっちゃん」は、「ブタは人に食べられるために生まれてきてくれよる。やからこそ、絶対に粗末に扱ったらいかん」といいます。これは、ブタと人間の関係性を端的に表すものではないでしょうか。
▲同書中扉の「ぶたた寝」
私たちは、ブタをはじめとした動物の死体を食べて生きています(※)。「ブタは人に食べられるために生まれて」きたのならば、私たちは何をするために生まれてきたというのでしょうか。この逃れられない現実を含めて、「ブタとともに生きる」ことの意味を考えていきたいですね。
(※)そうではない方々がおられることも承知しています。その上で食肉を単に避けるのではなく、ブタとともに生きることにブタを食べることが含まれる、すなわち「おっちゃん」が「やからこそ」でつないだ言葉の意味に向き合いたいと考えています。
小野坂
ハナ・アーレント『全体主義の起源』全3巻、大島通義・大島かおり訳(みすず書房、1981年)が入荷しました
いつもくまねこ堂ブログをご覧くださりありがとうございます。
最近の買取で、ハナ・アーレント『全体主義の起源』全3巻、大島通義・大島かおり訳(みすず書房、1981年)が入荷しました!
『全体主義の起源』は全3巻で構成され、扱っている内容も多岐にわたります。今回は、その詳しい内容に立ち入るよりも、そのはるか手前の、タイトルに関する話から始めたいと思います。「全体主義」という言葉は、ナチス・ドイツやスターリンのソ連を批判する概念として、一般に用いられてるように思われます。しかし、アーレントはその起源を浮き彫りにすることによって、ドイツやソ連に向かうような批判を、西欧国民国家の現状とその歴史に対して投げ返しています。このような、研究対象に向けた矛先を、自らあるいは自らが立脚する社会に反転させていく研究をしていた人物として、アーレントを取り上げたいと思っています。この反転について知ることは、循環的なフィードバックを用いた考え方に近づく手がかりでもあります。
そのような課題を設定した上で今回の投稿では、全3巻のうち、『全体主義の起源2帝国主義』を扱います。同巻においてアーレントは、マルクス主義を批判的に受容しつつ、独自の議論を展開していきます。それは、「資本蓄積」の繰り返しによる対外膨張というローザ・ルクセンブルクが提出した経済法則に対し、経済法則に反する際限のない「権力蓄積」の過程を描き出す、という形をとっています。そうした権力の問題についてはアーレントが人の移動、就労を国家が管理することで生じる権力を論じた部分が重要になります。
その部分は『全体主義の起源2帝国主義』の末尾にあたります。アーレントは国民国家の機能不全としての難民問題を扱い、続く第3巻の『全体主義の起源3全体主義』で全体主義国家における強制収容所の機能を論じています。この叙述の順序からいっても、人の移動、就労を国家が管理するという局面で生じる権力の分析が、アーレントの研究においては、帝国主義と全体主義とをつなぐ要素になっていると思われます。以下の画像が、該当部分の目次です。
人の移動、就労を国家が管理することで生じる権力、とはどのようなことなのか。この点については、明示されるかどうかはともかくとして、アーレントの議論をふまえた形で近年論じられることがあります。たとえば、下記の本もそのうちの一つにあたると考えます。テッサ・モーリス=スズキ『自由を耐え忍ぶ』辛島理人訳(岩波書店、2004年)109-110頁には次のように書かれています。
「二〇世紀半ばにおける政治的な大変動は、難民保護に関する国際制度の創設を必要とした。第二次大戦後に西欧諸国などの政府は、戦後復興と急速な経済成長を大規模な労働移民の受け入れ促進によって達成した。同時に、多くの政府は、移民労働者の滞在期間を制限し、経済的に不要となった移民には速やかな帰国が義務付けられるように法制度を整えた。換言すれば、国家はこの時期に入国、雇用、居住の権利にかかわる法規の複合的ピラミッドを構築した」
国際機関史という点からこの問題を考えていくと、第二次世界大戦後の国際機関・国際NGOによる難民救済・労働者教育事業が、各国の経済復興を支えることになった事例に突き当たりました。そこでは、国際機関の事業や国際的な運動が、その受け皿となる国々のナショナリズムにうまくはまるように形成されていった側面があります。こうしたインターナショナリズムとナショナリズムの入り食った関係を念頭に、冷戦の対立構図の形成過程を分析した研究が近年発表されています。
上記のナショナリズムについては、国家主義・民族主義どちらの要素もあります。むろん、ナショナリズム自体が諸悪の根源というわけではありません。しかし、難民問題などの人の移動をめぐる問題でとくに厄介なのは、境界が一致しない国家主義と民族主義の両者を強引に同一化する政治指導や人種的偏見が存在することです。しかも、そうした政治指導や人種的偏見を、皮肉にも国際的な難民救援事業が支えてしまった側面があります。そのような問題を検討するために必読なのが、次の書籍です。タラ・ザーラ『失われた子どもたち――第二次世界大戦後のヨーロッパの家族再建』三時眞貴子ほか訳(みすず書房、2019年※)。こうした問題意識の古典的な例として、アーレントが難民キャンプについて論じた部分が参照されることがあります。
今回の投稿はアーレントを紹介するものであったわけですが、『全体主義の起源2帝国主義』の議論が近年の研究に影響を与えている点について述べたところで、一区切りとします。なお、ザーラ『失われた子どもたち』は、以前買取価格保証の候補に挙げていました。買取のご依頼の際に弊社サイトの該当ページをご覧くださると幸いです。
https://www.kumanekodou.com/item_entry/31342/
小野坂