買取事例
いつかは、『源氏物語』を✨
「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり…」
どこか遠い記憶にある文章…
思い出せた方もいらっしゃるかもしれません、これは『源氏物語』桐壺巻の冒頭です。
学校などで、皆さまもいつかは触れたことがあるものでしょう。
古文、苦手だったなという方もいらっしゃるでしょうか。
教科書で読んだけど、『源氏物語』ってどうせプレイボーイの恋愛話でしょ…?という印象をお持ちの方も多いでしょう。
うーん!もったいない!!
『源氏物語』が、つまらないただのラブストーリーであるわけがないのです。
源氏物語は、西暦1000年を少し過ぎた頃に書かれました。つまり、『源氏物語』は、1000年読まれ続けている物語であるということです…!
1000年も人々が読んできたということは、何度読んでも新しい発見をさせるような作品であるということでしょう。
やっぱり一度は読んでみたい作品…!かもしれないですね…?
でも古文を読むのは大変だよ💦という方も多いでしょう。
いえいえ、原文で読まないでもいいのです。
海外文学であれば、その作品との初めての出会いが翻訳であることに、抵抗を感じる人は少ないでしょう。
それと同じように、『源氏物語』も、現代語訳から入ってしまえばよいのです。
1000年生きてきた作品は、現代語訳で読んだくらいで、その魅力を失うはずはない!
そこでおすすめなのが、この『新編日本古典文学全集』(阿部秋生・秋山虔・今井源衛・鈴木日出男・校注訳、小学館)の『源氏物語』です。
この『新編日本古典文学全集』の特徴は、三段構えになっていることです!
上段が語句や歴史事項の簡易な解説、中段が本文、下段が現代語訳となっています。
なので、現代語訳をまず読みたい、という方は、下段をたどっていけばよいことになります。
『新編日本古典文学全集』の『源氏物語』の現代語訳は、原文に即しつつも、独立した現代文として味わえるように配慮されています(凡例より)。
現代語訳だけを読んだとしても、きっと物語の世界に入っていけますよ。
そして現代語訳を読んでいて何か疑問にぶつかったら、上段の解説を見てみましょう。「何気なく読んでいたけど、こんな意味があったのか!」という発見もできるはずです。
また読んでいくうちに、「このエモい場面、原文ではどのような言葉で表しているのだろう?」などという興味がわいてくるかもしれません。そしたら、すぐ中段の原文を見てみましょう。「この言葉は前も出てきたな」とか、「この場合とあの場合で登場人物が感じているのは、似たような感情に思えるが、原文では別の言葉を使っている」、「この場面だけ、やたらと一文が長いな」などなど、原文をちょっと見るだけでも気づきがあります。
他にも、『新編日本古典文学全集』の『源氏物語』は、漢籍等の引用一覧や系図、図録などといった付録も充実しています。「もうちょっと深く知りたい」という時の道標が充実しているのです。
隅々まで研究者の精魂がこもっているこの本で、『源氏物語』との最初の出会いをしてみませんか。研究者の心血が注がれたこの本は、いつだって、あなたの良き導き手となるはずです。何度繰返して読む時にだって、どんな興味で読む時だって、いつでも。
本日もお読みくださりありがとうございました。
くまねこ堂では古本やDVD/CD、だけではなく、古道具や骨董品、アクセサリー、レコードや古いおもちゃなどなど、様々なお品物の買取を行っております。ご処分をお考えの際はお気軽にご相談下さいませ。また、ご遺品整理などでお困りのお客さまは、是非くまねこ堂までお申しつけ下さいませ。お電話またはメールフォーム、LINEにて、お気軽にお問い合わせ下さいませ。スタッフ一同心よりお待ちしております!
コトー
荻野富士夫『北洋漁業と海軍――「沈黙ノ威圧」と「国益」をめぐって』(校倉書房、2016年)、出品中です!
先日は中央区銀座 出版関係企業リピーター様より、
ビジネス書、新書、写真集等をお譲り頂きました。
もう5、6度はお伺いさせて頂いております。
今後も資料のご整理の際は、是非、当店をご利用くださいませ♪
いつもくまねこ堂ブログをご覧いただきありがとうございます。
以前のブログで、日本郵船に関する図録を日露戦争との関係で紹介したことがあります。そこで今回は、日露・日ソ間の漁業をめぐる、いわゆる北洋漁業問題についての本を紹介していきます。
荻野富士夫『北洋漁業と海軍――「沈黙ノ威圧」と「国益」をめぐって』(校倉書房、2016年)です。まずは、本書の構成を「はじめに」を引用する形で紹介します。
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本書では明治初年から日本の敗戦までを対象に、主に日露戦争後のポーツマス講和条約でロシアから獲得した漁業『権益』をテコに北洋漁業が拡大するなかで展開された、海軍による警備の実態とその意味するところを考察する。『満蒙』の『権益』は国策会社としての満鉄に集中していたのに対して、北洋漁業の主役は日魯漁業株式会社・日本水産株式会社などの民間企業であり、その点で現在想定しうる状況により近いと思われる。
それに加えて、戦後に再開された北洋漁業の『保護』をめぐる問題、シーレーン防衛を名目として進められた一九八〇年代以降の海上自衛隊の活動拡大の様相を取り上げる。
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しかしこの記述に続いて本題に入ると思いきや、本書は特高警察による拷問の末に獄中死した、『蟹工船』で知られるプロレタリア作家の小林多喜二に関する論点を提示します。漁業をめぐる経済史や日本海軍を中心とした軍事史研究には、いずれも物量の現実を扱う分野ですから、あまり小説という創作物が入り込む余地はないように思われます。他方で、『蟹工船』がこれまで知られていなかったということではないので、新出の論点ともいえないような感じもします。それではなぜ、こうした形で序論が展開されているのでしょうか。そうした本書の特色を紹介するために、「あとがき」でふれられた着想や執筆の経緯を引用します。
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本書の主題は、二〇一〇年ころから小林多喜二の『蟹工船』を「歴史学」の観点から読み解きたいと模索するなかで、次第に固まってきた。ほぼ八〇年ぶりに『蟹工船』が脚光をあびたことにも刺激を受けつつ、北海道や小樽という地の利を生かせるテーマに取り組もうとした。多喜二「草稿ノート」や彼の手紙の編集にかかわるなかで、『蟹工船』に込めた未完のもう一つの意図が浮かび上がってきた。多喜二の言葉を借りれば、「軍隊自身を動かす、帝国主義の機構、帝国主義戦争の経済的な根拠」――「官憲と軍隊を「門番」「見張番」「用心棒」」とすることにより、はじめて資本主義の「無慈悲な」侵入や「原始的な「搾取」」が可能になること――に、部分的とはいえ、迫ることができるかもしれないと考えた。
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この「あとがき」がどう興味深いのか、若干述べていきたいと思います。小樽商科大学教授(奥付より。現在は名誉教授)の荻野氏は、岩波新書の『思想検事』(2000年)、『特高警察』(2012年)で知られる治安維持法史の専門家です。また、上記引用の小林多喜二の「手紙の編集」とは、『小林多喜二の手紙』(岩波書店、2009年)を指しているものと思われます。すなわち、治安維持法研究、そして小林多喜二研究の一環として、北洋漁業史に取り組んだ荻野氏の成果が、興味深いのです。その成果は、従来の経済史ないし軍事史研究、あるいは日ソ関係史研究では十分に捉えきれなかった北洋漁業の構造的な問題に迫ったところにあると思われます。その構造的な問題とは、いうまでもなく、荻野氏が「多喜二の言葉」を借りて語った、近代日本における経済と軍事との関係性のことです。
また、小林多喜二の読み直し、という形で北洋漁業研究に一石(かなり大きいと思いますが)を投じた荻野氏の『北洋漁業と海軍――「沈黙ノ威圧」と「国益」をめぐって』は、研究テーマの設定の仕方という点で参考になります。単に北洋漁業研究としてだけでなく、広く歴史研究、文学研究、そしてその接点を探る研究のために、本書が読み継がれることを願っています。校倉書房から刊行された研究書は、現在入手が困難ですが、古書店を通じて必要な方々に届くことがあれば幸いです。
小野坂
日本郵船株式会社広報グループ編『航跡――日本郵船創業120年周年記念』(日本郵船株式会社、2004年)が入荷しました
いつもくまねこ堂ブログをご覧くださり、ありがとうございます。
この投稿を作成しているのは、東京でも降雪のあった2月10日なのですが、そんな中でも商品を配達してくださる配送業者の方々には頭の下がる思いです。そういうわけで今回は、最近入荷した運輸の歴史に関わる書籍を紹介します。以下、ご覧くだされば幸いです。
上掲の画像は、日本郵船株式会社広報グループ編『航跡――日本郵船創業120年周年記念』(日本郵船株式会社、2004年)です。本書は、日本郵船歴史博物館の展示品、所有品、史料を中心にまとめた図録となっています。目次を確認すると、本書は単なる年代記ではなく、上記の物品、文書に即した配列で構成されていることがわかります。一見して戸惑いを覚えるかもしれませんが、通常の社史とは異なる趣きゆえに、新たな発見もあるかもしれませんし、既知の事実であったとしても、印象が異なってみえるかもしれません。
したがって、有名なエピソードを扱っていながら、そこに最近の発見が加えられている箇所などは、本書を読む際に注目すべき点になるといえます。そのような記述、写真などが都合よくあるだろうか?とページをめくっているときにみつけたのが、下記の部分になります。
上掲の頁は、日露戦争時、ロシアのバルチック艦隊を発見し、日本艦隊に「敵艦見ユ」と無線で打電したことで知られる、信濃丸(1900年建造)の項目です。ここでは無線の話に加えて、信濃丸の号鐘(時刻や船舶の位置を伝えるための鐘)が、新たにとある教会で発見されたことが取り上げられています。バルチック艦隊の到来を告げた船の号鐘が、芝公園の聖アンデレ教会(東京都)の鐘となっていたことは意外ですが、その経緯はよくわからないようです。
過去の出来事が完全にはわからないのと同様に、私たちの未来の見通しも完全なものではあり得ません。少なくともこの教会鐘が最後の審判を告げることのないよう、祈るばかりです。
他にも信濃丸の項目には、中国国民革命の指導者孫文の書が紹介されています。これは、1918年に孫文が日本へ向かう途上のものになります。海運にまつわる本書において、国境を超える人々の交流が取り上げられるのは、必然性のあることだともいえます。日中関係について考えるときは、こうした歴史から目を切ることなく、単なる国家間の関係にとどまらない視点を持たなくてはなりません。
日露戦争、そして中国国民革命とに意外な形で関わった信濃丸は、東アジアの国際政治史や国際安全保障を考えるうえで、大変興味深い存在です。とくに安全保障とは、軍隊同士の最前線での衝突のみを意味するわけではありません。そのため安全保障を論じるにあたっては、局地的な軍事作戦、そしてそれらを包括する戦略全体を支えるはずの、運輸・通信技術の水準が、その運用ともあわせてどのようなものとなっているか、という問題を無視することはできません。その上で、最大の安全保障は国家を超えた信頼関係である、という鉄則を信濃丸の存在が示しているのではないでしょうか。
こうした信濃丸をめぐるエピソードは、教会の鐘が最後の審判を告げることのないよう、これまでの戦争の歴史やこれからの安全保障の問題を考える際の切り口のひとつとなり得るのではないでしょうか。
小野坂
三好徹の交友
今年が始まり、早一ヶ月以上が経とうとしております。
もう2月も半ば…。私は年賀状をいただいた方へのお返事年賀を出せないままになってしまっております…。
皆さまは年賀状のやり取りは、現在もなさっているでしょうか。
年賀状を手に取って見返し懐かしい名前に出会うのも、なかなかよいものです。
今日は、そんな年賀状の中でも作家の年賀状を紹介したいと思います。
三好徹宛の年賀状です。
三好徹は昭和6年東京生まれ。推理小説やスパイ小説など、幅広いジャンルの作品を執筆した作家です。昭和42年に「風塵地帯」で日本推理作家協会賞を、またその翌年には「聖少女」で直木賞を受賞しています。令和3年に亡くなるまで、数多くの作品を発表しました。
では、どんな人物からどんな年賀状が、三好徹に来ていたのでしょうか。
例えば、この年賀状は…?
星新一からです!
星新一は大正15年東京生まれ。400字詰め原稿用紙で10数枚程度の、ショートショートと呼ばれる小説形式でお馴染みです。昭和43年には「妄想銀行」および過去の業績に対して、日本推理作家協会賞を受賞しています。日本推理作家協会賞の受賞者であることは、三好と共通点ですね。
写真の、昭和54年の年賀状には、星の代表作である「ボッコちゃん」のベンガル語訳(!)の一部が印刷されています。
星の作品は、英語はもとより、旧ソ連から東欧諸国の言語、中国語、韓国語、スペイン語、ベンガル語、エスペラント語まで20言語以上に翻訳されているそうです。自身の年賀状にもベンガル語の翻訳を登場させているということで、星もそのように様々な言語に翻訳されることを、喜んでいたのでしょう。
ひと味違う、個性的な年賀状です。
さて次の年賀状は…?
池波正太郎からです!
池波正太郎は大正12年東京生まれ。昭和35年に「錯乱」で直木賞を受賞しています。「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛人・藤枝梅安」シリーズなど、時代小説で絶大な人気を博しました。
三好と池波は、ともに直木賞作家ということになりますね。
池波の年賀状も、昭和54年のものです。パイプを咥えた鹿の絵が印刷されています。池波は小説執筆の合間に多くの絵を描いていました。風景画や人物画に加え、動物の絵も好んで描いたようです。
池波正太郎記念文庫でも、池波の絵画の展示会を何度も行っています。
池波らしさが出た年賀状となっていますね。
今回は、三好徹に宛てた、星新一と池波正太郎の年賀状を見てみました。
どちらも、個性の出たものとなっており、面白かったです。作家の年賀状から、作家自身や、他の作家との交流について探ってみるのも、なかなか興味深そうです。
本日もお読みいただきありがとうございました。
くまねこ堂では古本やDVD/CD、だけではなく、古道具や骨董品、アクセサリー、レコードや古いおもちゃなどなど、様々なお品物の買取を行っております。ご処分をお考えの際はお気軽にご相談下さいませ。また、ご遺品整理などでお困りのお客さまは、是非くまねこ堂までお申しつけ下さいませ。お電話またはメールフォーム、LINEにて、お気軽にお問い合わせ下さいませ。スタッフ一同心よりお待ちしております!
コトー
このブログを書くために、以下の記事を参考にしました。
NHKニュース「直木賞作家の三好徹さん死去90歳」2021年4月6日 15時35分https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210406/k10012958981000.html
星新一公式サイトhttps://hoshishinichi.com/
池波正太郎公式サイトhttps://ikenami.info/
池波正太郎文庫「企画展」サイトhttps://www.taitocity.net/tai-lib/ikenami/kikaku/kikaku.htm
絶版漫画などをお譲りいただきました!
道端の紫陽花に新芽を発見し、春ももう近いのかと感じた今日この頃です。皆さまいかがお過ごしでしょうか。
この度は、宅配買取で、絶版漫画やコミックセットをお譲りいただきました!
くまねこ堂では、宅配買取もしております。お電話またはメールフォーム、LINEにて、お気軽にお問い合わせ下さいませ🐈
さて、この度宅配買取でいただいたものの中には、内崎まさとし『らんぽう』、またどおくまん、わたなべまさこ、飯森広一作品がございました。現在では貴重な作品もあります、大変ありがとうございました。
石井いさみ『750ライダー』は、50巻揃った形でいただきました!
私はこの作品をこれまで存じ上げなかったのですが、この作品の題名「750ライダー」というのは、主人公の早川光が、750ccの大型バイク・ホンダ・ドリームCB750FOURに乗っていることから来ているのですね。
バイクで疾走する青春漫画、さわやかな画風も相まって、魅力的です。
貴重な漫画を次の読者にお渡しするお手伝いを、これからもできたらと思います。
本日もお読みくださりありがとうございました。
また、先日は埼玉県三郷市のお客様より、
政治学、宗教、専門書、学術書、講談社学術文庫、ちくま学芸文庫、岩波現代文庫等をお譲り頂きました。ご依頼誠にありがとうございました。
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コトー
このブログを書くために、Wikipedia「750ライダー」の項を参考にしました。https://ja.wikipedia.org/wiki/750%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC
100巻越えのコミックセットは壮観です😎
いつもくまねこ堂ブログをご覧いただきありがとうございます。
先日は世田谷区太子堂のお客様より即日出張買取にてビジネス書、実用書、Blu-ray、DVDBOX、テクノレコード、ワンピース、おーい!竜馬、小山ゆう、スピードラーニング、英会話教材などをお譲りいただきました。ありがとうございます!
こちらのお客様、近所の大手チェーン古本屋さんが出張買取していなかったとのことで今回くまねこ堂にご連絡をしてくださったようです😌
その際にお譲り頂いたワンピースのコミックセットを検品していたのですが、、ワンピースって連載長いですよね…一巻が発売されたのが1997年ということは私はほぼほぼワンピースと共に育ってきた感じになります(笑)
でも長すぎてちゃんと追えてはいないんですよね😂
漫画はアラバスタ編の途中くらいまで、アニメはマリンフォード編位まで(所々抜けていますが笑)見ていたと思います。
なので二年後になってからは全然ついていけていないし、今アニメでもやっているワノ国編の事もさっぱりわかってはいないのですが、やっぱり見ると面白いんですよねー!今からでもすぐハマれそうです(笑)
名シーンの数々、何度読み返してみても感動してしまいます。
あとキャラクターの泣き顔のコマを見るだけで泣けてきてしまいます(笑)
もう少しで完結するらしいですが、どんな終わり方をするのかどきどきしますね。完結してほしい気持ちとまだ続いてほしい気持ちとがぶつかり合います🤣
…と、その前に私はちゃんと漫画を読んで勉強し直しておきたいです😇
1~101巻+αは中々の量ですね(笑)
最近だと電子書籍に移行している方も多いと思いますが、やっぱり紙がいいという方も多いですよね。お気に入りの漫画だけは紙でとっている方も私の周りには多い気がします。
ですが断捨離、ご整理等をお考えのお客様がいらっしゃいましたら是非くまねこ堂までご連絡ください!
漫画や古本はもちろん、CDやDVD、Blu-ray、ゲーム類、古道具、アクセサリーや時計、万年筆など、幅広いジャンルの商品を見ることが出来ますので一気にご整理出来ちゃいますよ♪
即日出張買取も可能な場合もございます!ご整理やご処分にお困りのお品物をお持ちのお客様がいらっしゃいましたら、是非お電話、LINE、またはメールフォームにてお気軽にご連絡ください。
ご満足いただけた際にはお客様からの感想やレビューなどいただけましたらスタッフも大変嬉しい限りです😽
スタッフ一同心よりお待ちしております。
クウスケ
文学・全集・初版本などをお譲りいただきました!
今年は雪のたくさん降る冬ですね。
寒さ厳しい折、皆さまどうぞご自愛くださいませ。
先日は、新宿区白銀町に即日出張買取に伺いました!
くまねこ堂は、条件が合えば、ご連絡いただいたその日にまいることも可能です。
お引っ越しなどで整理をお急ぎの方も、どうぞご利用ください!
さて、今回の買取では、全集、また三島由紀夫や宮澤賢治などの文学を主にお譲りいただきました。
以下の三島由紀夫『豊饒の海』四部作は、全て初版本です。
四冊揃って入荷いたしました。
『豊饒の海』は、三島による長編小説で、輪廻転生によって繋ぐ夢幻的世界が特徴です。
平安後期の『浜松中納言物語』などに影響を受けつつ、世界を解釈していこうとする姿勢が見えます。それ故に難解でもありますが、三島文学を知りたいという気持ちがあるならば、是非とも呼んでみたい作品です。
また2018年には、東出昌大さん主演で舞台化もされており、現代でもホットな作品でしょう。
加えて、三島は、この『豊饒の海』の第四部「天人五衰」の最終回原稿を書いた後に、自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決しています。
そのため、『豊饒の海』は、三島個人の死との連関からも研究されることが多いようです。
三島文学を知る上でも、三島個人を知る上でも、重要な作品であるのですね。
個人的には、三島文学には、その文体のきらきらしさに魅了されそうになりつつ、怖さも覚えます。その美しさで隠されたものは何なんだろう、と気になります。
三島はたくさんの作品を書きました。現在も評価は高く、研究の蓄積もあります。
じっくりと読み、また知っていきたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
コトー
このブログを書くために、以下を参照しました。
新潮社『豊饒の海』ページhttps://www.shinchosha.co.jp/book/105049/
ジャパンナレッジ『日本大百科全書』「浜松中納言物語」項https://japanknowledge.com/introduction/keyword.html?i=765
広島女学院大学・中尾莉奈「『豊饒の海』論-三島由紀夫による「世界解釈」の視点-」学位論文要旨http://harp.lib.hiroshima-u.ac.jp/hju/metadata/12124
パルコステージ「豊饒の海」ページhttps://stage.parco.jp/web/play/houjou/
PCやIT関連書籍、ゲームソフトなど!出張買取に同行いたしました。
本日もくまねこ堂ブログをご覧いただきありがとうございます。
先日は東京都葛飾区のお客様よりご連絡いただき出張買取に伺いました。
PC技術書、IT専門書、PSVITA、ニンテンドー3DS、PS4やPS3のゲームソフト、青年コミック、フランス文庫などをお譲りいただきました。
誠にありがとうございました!
ペルソナ5です!
私も買ってはあるのですが積みゲーと化しています…名作と名高いので腰を据えてプレイしようと思い早数年、時間がない!これが大人!
グラビティデイズ!
町の中を歩き回るだけで楽しいです。楽しすぎて気付いたら朝になっていて絶望したことが何度もあります。そんな素晴らしい作品です。
当初はPCやIT関連の書籍の買取の予定でしたが、ゲームも扱っている旨お伝えしたところお譲りいただけることとなりました。ご整理のお力になれたこと嬉しく思います。
くまねこ堂では古本や骨董品などは勿論、ゲームも取り扱っております。ソフトorハード、新旧は問いません!是非何でもお見せくださいませ!
また、お客様からのご感想やレビューなどいただけますとスタッフも大変嬉しいです。
日々の励みになりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
トリ
つぶらな瞳に既視感👀昭和の漫画雑誌の付録まんがで見かけた🍭太田じろう
「普段はあんな所で活躍している人が、実はここでも活躍していた!」
というような、
元々ファンだった人の、二足の草鞋情報👣を得た時、
その人の事を、もっと好きになっちゃうコトって、ありませんか??笑
以前とっとこハム太郎の作者、河合リツ子さんが小学館の学年誌で連載されていたスーパーマリオについて、
ブログで掲載させていただきました。その時と同類のネタ記事となります。
私は、上記のような事を知ることが出来た時、
アドレナリンがばばば~と出て、もうそれだけで
「なんて最っっ高の一日なんだ!!!」と、
生きてて良かったと、明日も頑張れる気持ちになれます。
今回はこちらの漫画を整理していてアドレナリンが出たので、ご紹介させていただきます。
がんばれガン太/太田じろう
昭和31年発行、漫画雑誌「少年」のふろくまんがです。
まあ、おもいっきし作者名は書いてあったのですが、
名前より先に、キャラクターのお顔に目がいってしまいまして・・・(ごめんなさい)。
ムム??
なんかこの瞳、見たことーーーー
クッピーーーーーラムネの人ーーーーーーーー!!!!!!!!!!(アドレナリンどばどば)
(※↑こちらはクッピーラムネ/カクダイ製菓株式会社公式サイト様にて
2022年2月現在無料配布の壁画です。昭和レトロ大好きな方は是非、無料配布の壁画をgetしてくださいね👍)
・・・といった、「瞳」で好きな絵師だ!と、気が付けたこの喜びを、
どなたかと分かち合いたくて、
ブログにしました。しょうもなくて申し訳ございません。
昭和30年代に連載されていた「がんばれガン太」は相撲少年の出世街道物語なのですが、
見れば見るほど、代表作の「こりすのぽっこちゃん」の事も連想させる、
とってもキュートなお顔のお相撲さんですね。罪深い・・・。
ちなみに、この他にもお客様からお譲り頂きました、
沢山のふろく漫画を楽しく!素早く!整理していました。
本当はもっとじっくり見たいですけれど、そりゃ仕事ですから~~🔥
でもほんと毎日様々な古本や骨董を拝見させて頂けて、とっても幸せです。
ありがとうございますっっ!!
下の画像はその一部の漫画の裏面を撮影したものなのですが、
当時の裏表紙の広告も、クセが強くて面白いものばかりです!
↑これ、少年誌の付録のことですかね?ちょっと何言ってるのかわかんない☺笑
今回ご紹介させていただきました雑誌付録のように、
バーコードが付いていない本や、
書店で単品としては販売されていなかった冊子などなど、
どのように処分や整理をすべきか悩ましいお品物がお家に眠っていましたら、
市販の書籍やCD、骨董などの買取依頼とご一緒に♪
ぜひ一度くまねこ堂にご相談くださいませ🤭
スタッフ一同お待ちいたしております!
かこさん
『衛藤瀋吉著作集第2巻 東アジア政治史研究』(東方書店、2004年)を紹介します。
受験シーズン真っ只中ですが、いかがお過ごしでしょうか。かつての(ツラい)出来事を思い出した方、あるいは、これからの試験監督業務に不安を抱えている方もおられるかもしれません。
私自身、振り返ってみると、問題を解くということや、点数を上げることに気を取られて、むやみに苛立っていた記憶があります。そんなことよりも、そもそも問題がどのように作成されているのかについてもっと考えるべきだったと気づいたのは、大学受験が終わってからのことでした。
というのは、大学に入った当初、一番印象的だったのが、図書館の圧倒的な蔵書だったことと関係があります。新潟県の中でも田舎に属する市の出身の私には、大学図書館の書架を前に驚くばかりでした。たとえば、中央公論新社の『日本の近代』シリーズは全16冊もあります。近代の区切りでこの規模のシリーズなのです。それまで高校日本史1冊を覚えるのに奮闘していた日々が、一瞬で情けない記憶に変わりました。それら膨大な研究成果のごくごく一部を、高校生でも理解できるような形で配列されているのが教科書にすぎなかったのか、という思いに駆られました。
しかも、『日本の近代』シリーズにしても、その内容の基礎となっているのは、個別の事例を原史料に基づいて詳細に検証した論文や単著であることにしばらくして気づきました。それは、各巻の参考文献一覧の膨大さから想像されたことではありました。そこで、文献一覧の本を並べ、おそるおそる元ネタ探しをしてみると、これだったのか!とホッとしたり、引用元で初めて知る事実に驚いたりする体験をしました。そうして私は、本の出典をさかのぼって読むことにハマっていきました。とりあえず、これを「さかのぼり読書」と呼んでおきます。一方で、古い本の場合は、その後にどのような研究があるのか、と自分なりに系譜づくりをするようになりました。
今回の投稿が、紹介する本を通じて、そうした歴史研究の歴史をたどる読書の一端を示すことになればと思っています。
まず紹介するのは、最近入荷した以下の本です。
『衛藤瀋吉著作集第2巻 東アジア政治史研究』(東方書店、2004年)です。その中で第2部の「京奉線遮断問題の外交過程――田中外交とその背景」と取り上げたいと思います。まずこの論文の初出ですが、それは篠原一、三谷太一郎編『近代日本の政治指導――政治家研究II』(東京大学出版会、1965年)に所収されたものになります。年代からすると古い研究には違いないのでしょうが、仮に発表された年号を隠して、同論文の冒頭部分を読んだ場合、どのような印象を受けるでしょうか。以下、引用します。
「田中政友会内閣が成立したのが一九二七年(昭和二)四月二〇日。野党時代に、第一次若槻内閣のいわゆる幣原外交と、無為無策としてはげしく攻撃してきた政友会は、馬場明氏も説くがごとく、また後に本稿でも触れるように、一旦廟堂に在って責任の地位に立つと、中国の事態が必ずしも、いわゆる積極策で容易に片づくような情況でないことを、認識せざるをえなかった」
上記の書き出しは、1920年代半ばの政権交代を伴う政党政治の時代にあって、中国に対する外交政策がどのように決定されたか、このことを検証する論文であることを示したものになっています。政権交代と外交との関係を扱っているがゆえに、2009年の民主党政権の成立以後の研究かと思われた方もおられるのではないでしょうか。衛藤氏は、この論文を切り出すにあたって、強硬な対中政策を掲げていた田中義一率いる立憲政友会が政権に就いた際、その野党時代の主張をそのまま実行することが難しいことに気づいたと述べています。しかしながら、田中政友会内閣は、いったんは前政権・憲政会内閣の外相幣原喜重郎による武力行使を避ける対中不干渉政策に接近しつつも、中国現地の邦人を保護するために山東出兵を決行しました。この山東出兵は、中国側との軍事衝突である1928年4月の済南事件の勃発につながってしまいます。
結果的に政権交代によって日本の対中政策は大きく変更したとはいえますが、その変化の過程には微妙な問題がかなり含まれていたことが想像されます。そのため、受験勉強で覚えた政権と政策のセットをいったん離れて、当時の事実を詳しく知る必要があるのです。
衛藤論文は、こうした田中内閣の対中政策の決定における紆余曲折について、従来(現在も)あまり知られていない微妙な事例を取り上げています。それは、日本が支援していた満州軍閥の張作霖と、北伐を進めていた蒋介石の中国国民革命軍との抗争に対して、田中内閣がどのように対処しようとしたのか、という問題です。当時、張作霖は中国北部に勢力を広げており、自身も満州を離れ同地に出陣していました。そこで、形成が不利になった張作霖が満州に帰還するがあれば、それへの妨害をほのめかしながら、日本の満州権益を一層強固なものにしようと考えた人物がいました。それは、在奉天総領事の吉田茂なのですが、そのような彼の腹案は、陸軍も驚くほどの強硬策だったのです。
そして首相の田中も、吉田案を支持してはいませんでした。そこで、田中は正規の外交ルートを迂回して、南満州鉄道株式会社(満鉄)社長の山本条太郎を介して、張作霖側と交渉を進めていきます。山本と張作霖との交渉は、吉田の考えとは異なり、これまでの路線と同様、張作霖を支援しつつ、日本の満州権益を確保するという穏便なものにとどまっていました。
こうして田中内閣の対中政策は、中国本土においてはこれまでの不干渉主義を覆して現地への出兵による邦人保護を実行しましたが、張作霖との満州権益をめぐる交渉では、外務省を迂回して、これまでの張作霖支援の路線にとどまりました。結果的に田中外交は、山東出兵が引き金となった済南事件の発生によって、蒋介石や中国本土の民衆からは北伐の妨害とみなされます。他方で、張作霖に対しては、日本は場合によっては彼を切り捨てる意思もあるというシグナルを送ってしまったのです。そうしたチグハグさは、田中が外務省を迂回するために満鉄を絡めた交渉を推し進めたことで、より増幅されていきます。こうして田中は、自らの政権の対中政策の統制を失っていきます。野党時代に対中強硬外交を掲げていた内閣による外交が、これほどまでに不統一であり、蒋介石と張作霖双方に対して不信感を抱かせてしまったことには、呆然とするほかありません。田中自身が呆然としていたのかもしれませんが、外交政策の統制を失ったからこそ中国で軍事衝突を起こしてしまったのだとするならどうでしょうか。強硬策を貫徹したのと同様、いやそれ以上に田中外交は危険な代物であったのではないか、とゾッとします。それとは対照的に、張作霖に対してはこれまでの穏健な路線であたったことで、田中はまたしても思いもよらぬ事態に直面します。それは1928年6月4日の張作霖爆殺事件です。首謀者は満州駐在の日本軍である関東軍の参謀らで、彼らは、張作霖を支援する穏健な政策に不満を抱き、張作霖を暗殺して一挙に日本の満州権益を固めようとしたのです。そして、この事件は田中内閣を総辞職に追い込むことになります。
結局のところ、田中本人は対中政策の難しさをある程度理解していたはずなのに、野党時代に掲げた強硬姿勢が災いし、政権運営に失敗してしまったのでした。このことは歴史の教訓として重大な意味を持ちます。政権交代を伴う政党政治は、議会制民主主義にとって必要不可欠といっていいほど重要なものです。しかし、国内で政権の交代劇が頻繁に起こるのに、外交が不安定であっては、国民は怖くて仕方がないでしょう。それでは有権者が政権交代を忌避してしまいます。そのため、政権交代と外交の安定が結びつかなければ、議会制民主主義は成り立たないのです。政権交代を伴う政党政治ですから、政治が党派性を帯びるのは当然です。しかしながら、政権が外交政策でも国内の党派性を優先してしまうと、国際環境の変化や相手国の情勢を無視した非合理的な対外姿勢に陥ってしまいます。
すなわち、上記の矛盾に注意深く、根気強く対処することが、民主主義を支えるために必要だということ、これこそが歴史の教訓なのです。田中外交それ自体は非常に問題含みであり、批判されてしかるべきものです。けれども、単に田中外交を詰るのみにとどまっていては、歴史に学んだことにはならないのではないでしょうか。民主主義を守りたいのなら、田中外交をめぐる詳細な事実を知り、政権交代と外交の安定の矛盾をどう克服していくか考えていかなくてはなりません。
ところで、冒頭で「さかのぼり読書」の楽しさ、という話をしました。そういえば衛藤論文に「馬場明氏も説くがごとく」とありましたね。これが気になるので、該当の馬場論文を自宅から持ってきています。
上掲画像が、馬場明「第一次山東出兵と田中外交」『アジア研究』第10巻第3号(1963年10月)です(後に『日中関係と外政機構の研究――大正・昭和期』原書房、1983年所収)。馬場論文では、なぜ田中が、張作霖と蒋介石との抗争の最中に中国へ出兵しようとしたのか、その動機を示す文書が引用されています。田中の持論は「(満蒙に)共産主義分子ノ容入ルコトハ飽ク迄モ之ヲ防ク必要アリ共産的分子カ容入レハ経済上ノ基礎ヲ破ラレヤガテ我朝鮮統治ニモ累ヲ及ボシ終ニハ対露関係ニモ悪影響ヲ見ルニ至ル」であろう、というものだったのです。露はこの時代ではソ連を指します。この引用から、日本の対中政策を理解するには、日本側の対ソ連認識をふまえる必要があることがわかります。馬場氏は田中内閣の対中外交について、「満蒙地方政権を温存するための援張〔作霖〕策とともに、一面では〔中国〕南方における穏健分子、反共を標榜する蒋介石による中国本土統一への支援であり、援蒋策の含みももつものであったのである」と結論しています。したがって、田中外交からは、満州領有を目的として開始された1931年の満州事変や、ましてや中国との全面戦争となった1937年以降の日中戦争へと直接的にはつながり得ないのです。その上でなぜ、日本が満州事変から日中戦争、果てはアジア・太平洋戦争へと際限なく戦線を拡大していったのかが問われなくてはなりません。
馬場氏は、田中外交から満州事変に直結したわけではないこと、および日本の対中政策について、その動機の面にソ連および共産主義に対する認識が強く影響していることを、1963年の段階で指摘しています。これらの点は、後の日本外交史研究では、どのように扱われているのでしょうか。また、衛藤氏が指摘したような外交と内政の関係性をめぐる問題はどうでしょうか。実は、それら先駆的な指摘をふまえた、必読書があります。
それは、酒井哲哉『大正デモクラシー体制の崩壊――内政と外交』(東京大学出版会、1992年)で、1930年代の日本の政党政治、民主体制について、同時期の日本外交、すなわち満州事変から日中戦争にいたる過程と関連づけながら、内政と外交両面の崩壊過程を描き出した研究です。外交過程の分析では、日本の対ソ認識の変遷を主軸に分析されています。
「さかのぼり読書」の成果ということでいえば、1960年代初頭の先駆的な研究で指摘された微妙な事実関係を含んで、後にきわめて体系的な研究が発表された、という歴史学の発展を知ることができたことではないでしょうか。この感動をお伝えするために今回の記事を作成したのですが、少しでもその思いが皆さまに伝わっていたら幸いです。
また、そうした全体像を学びつつ、次の本にも挑戦してみてはいかがでしょうか。
関東憲兵隊司令部『在満日系共産主義運動』(極東研究所出版会、1944年、1969年復刻)です。こうした現在では入手困難な書籍の流通にも取り組んでまいりますので、今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。
小野坂