昭和28年、舞台の上の東京 /東京都品川区、北区、葛飾区で、家ごと遺品整理、展覧会図録、美術館図録、絵本、児童書、時刻表、郷土玩具などお譲り頂きました。
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「芝居名所一幕見」という古い本が入ってきました。
「芝居名所一幕見~舞台の上の東京」1953年発行/戸板康二/白水社
だいぶ古い本とはいえ、「社外持出しお断り(当日中にお返えし下さい)」の
シールが貼ってあると、なんだかドキドキしちゃいますねえ(;^^)
さて、これはどういう本かと言いますと、
歌舞伎のお芝居の舞台になっている場所を紹介している本です。
「お芝居の中では江戸時代ですが、現在はこうなってますよ~」と写真が載っているわけですが、
昭和28年当時の「現在」ですから、今見れば大変レトロな写真となっております。
人形町三丁目四番地の玄冶店(げんやだな)。
『与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)』というお芝居の中に出てくる場所で、
お富という登場人物が住んでいたところなのだとか。
板橋の舊妓楼(写真当時は都病院)。
『暗闇の丑松』というお芝居の中に出てくるそうです。
「今は不動尊通りと呼ばれてゐるこの舊道、戦時中閉鎖されて廓はすでにない。
以前軒を並べてゐた十数件は、すべて跡形もなくなってゐるが、ただ一つ、
もとの新藤楼の建物だけは、営業をやめてから一時警察の寮になり、
現在は都病院と変わって、そのまま残ってゐる。
吉原、新宿、品川、洲崎、どこへ行っても見られない妓楼の、ある時代の姿が、
ここに、変色した明治の写真でもみるやうに、保存されてゐるのは、
むしろ珍重すべきものであらう。」
当時でもすでに貴重な建造物だったようですね、
もちろん今では現存していないでしょうが・・。
蔵前。『侠客春雨傘』というお芝居の中に出てくるそうです。
このお芝居には、浅草蔵前の札差(ふださし)を生業とする登場人物が出てくるそうですが、
「札差とは、旗本や御家人に下げ渡される、年二季の切米を抵当に、金融する機関で、
享保年間におこつた職業、百九軒の同業者があつたといふ。
浅草のほかには、本所、浜町、鉄砲洲等にも米蔵があつたが、中でも一番古く
又大きかった浅草の蔵の前の一角が、蔵前といふ地名をもつやうになつた。
札差はこの蔵の米を扶持される人々の代弁事務を行ふ意味の職業から、
転じて高利貸に類するなりはひに転じたが、いづれにしても、貨殖の道がついてゐるので、
富豪が多く、蔵前風といふ特殊な風俗が生れ、「十八大通」と呼ばれる通人も、
この土地から出たのである。」
へえ~、蔵前にはそんないわれがあったんですね。
三田四国町薩摩屋敷あと。『江戸城明渡』というお芝居に出てくるそうです。
幕末に勝海舟と西郷隆盛が会見を行ったとされる場所は
(この本によれば)諸説あるそうなのですが、この写真のあたり、
四国町にあった島津家の上屋敷で会見が行われたとする説があるのだとか。
今の三田(都電三田線)の終点は、大正の終り頃まで、
「薩摩原(さつまつぱら)」と呼ばれてゐた。
この種の名称は、現在秋葉原が一つのこつてゐるのみだが、これも正確には、
アキバの原なのであつて、アキハバラは転訛である。
サツマッパラなんて名称が、かつては都心にあったんですねえ!
そのまま残っていれば今ごろ
「アキバの帰りにサツバも寄ろうぜえ~」
なんて言われていたのかな
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今日は東京都品川区、北区、葛飾区で、
家ごと遺品整理、展覧会図録、美術館図録、絵本、児童書、時刻表、郷土玩具など
お譲り頂きました、どうもありがとうございました。
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