日独伊三国同盟の扇と、立川談志の直筆色紙 /東京都日野市、立川市、埼玉県さいたま市北区で、香炉、銀盃、帯留め、サンゴ、鼈甲、万年筆、金鎖、金歯、金チェーン、東洋文庫、文学書、岩波文庫、戦記、中国史、シベリア樺太資料などお譲り頂きました。
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本日ご紹介する買取り品はこちらです!
言葉もステキですが、こういう絵をその場で筆でさらさらっと書けちゃうのって、
すごいですよね。
こちらは、いっぷう変わった扇です。
お客様宅の奥にずっとしまわれていたらしく状態がきれいなので、
一見新しい物のように見えるのですが、
いわゆる日独伊三国同盟を記念して作られた扇だと思われますので(ドイツがナチスですもんね・・)、
第二次大戦前、1940年ごろの物と思われます。
大変珍しい柄ですね。
扇の入っていた箱のラベルには、「東京浅草雷門地内 寶扇堂久阿弥」とあります。
「寶扇堂久阿弥」って、今でもあるのかな?と思ってググって調べていたら、
こちらのページが引っかかりました。
江戸扇子(えどせんす)
京都で行われていた扇子(オリジナル扇子)生産は、元禄時代に京都から移ってきた
宝扇堂久阿弥の初代金兵衛によって江戸へ伝わります。
江戸扇子は京扇子に比べて骨の数が少なく紙の折幅が広いのが特徴です。
扇面のデザインは江戸の人々の好みに合わせて、さっぱりした、
粋を意識したものが主流となっています。
江戸扇子の製作は絵付けをする絵師、組み立てをする仕立て師だけの
少人数で作られるのも特徴です。
(オリジナル扇子工房/オリジナル扇子の解説より)
ということはこれは、江戸扇子なのですね。
さらに、こちらのページに、
元禄年間[1688~1704年]に浅草仲見世「宝扇堂」久阿弥の初代金兵衛が、
京都から江戸に出て、浅草寺境内で葦頭簀張りの店を出し、扇を売ったのが始まりと言われています。
当店の職人はその「宝扇堂」の最後の職人です。
(江戸扇子まんまる堂より)
「最後の職人」ということは、「宝扇堂」は今はもうなくなってしまったのですね~
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