大正15年、アメリカで大ヒット本を書いた日本人女性がいたことをご存知でしょうか?
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こちらの本を読みました。
「武士の娘」著:杉本鉞子、訳:大岩美代/ちくま文庫
解説:
杉本鉞子(すぎもと えつこ、1873年(明治6年) – 1950年(昭和25年))は、
1873年、越後長岡藩の家老の家に生れ、武士の娘として厳格に育てられた。
結婚によりアメリカに住むようになり、すべてがめずらしく目新しい暮らしの中で
「武士の娘」として身につけたものを失うことなく、また自分にとじこもることもなく、
みごとに自立した考えを身につける。
今日に通じる女性の生き方を見る上にも、当時の風俗や生活のありさまを知るためにも、
高い価値をもつ。
ちなみにこの本は1925年(大正15年)、排日運動の只中にあったアメリカで、
無名の日本人女性だった杉本鉞子さんが英語で書き下ろした本で、
その年のベストセラー・リストに載り『グレート・ギャツビー』と並ぶ売れ行きで、
異例の8万部が世に出たのだそうです!
一読し、興味深い部分は多々ありましたのでどこをご紹介するか迷いましたが、
ここを取り上げてみたいと思います。
当時の人々が(たとえ子供であっても)、
「勉学」に対してどれほど真剣に重みをもって臨んでいたかということが
感じられるエピソードで、作者の鉞子さんがわずか6歳(!)の時のお話です。
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お稽古(漢籍)の二時間のあいだ、お師匠さまは手と唇を動かす外は、
身動き一つなさいませんでした。私もまた、畳の上に正しく座ったまま、
微動だもゆるされなかったものでございます。
只一度、私が体を動かしたことがありました。ちょうど、お稽古の最中でした。
どうしたわけでしたか、落ち着かなかったものですから、ほんの少し体を傾けて、
曲げていた膝を一寸ゆるめたのです。すると、お師匠さまのお顔にかすかな驚きの表情が浮び、
やがて静かに本を閉じ、きびしい態度ながら、やさしく
「お嬢さま、そんな気持で勉強はできません。お部屋にひきとって、お考えになられた方が
よいと存じます」とおっしゃいました。
恥しさの余り、私の小さい胸はつぶれるばかりでしたが、どうしてよろしいものやら判りませず、
唯、うやうやしく床の間の孔子様の象にお辞儀をし、次いでお師匠さまにも頭をさげて、
つつましくその部屋を退き、何時もお稽古が終ると父のところへゆくことにしていましたので、
この時もそろそろと父の居間へ参りました。時間が早いので、父は驚きましたが、
事情を知らないままに「おや、随分早くおすみだね」と申しましたが、きずついた私には
まるで死刑をつげる鐘の音のように響いたものでした。あの時のことを思い出しますと、
今もなお打きずの痛みのように、私の心を刺すものがございます。
勉強している間、体をラクにしないということは僧侶や師の慣わしでありましたので、
一般の人々も身に受ける苦しみはかえって心のはげみになるものだと感ずるように
なりました。こんなことからして、私も姉もわざわざ寒三十日の間は、難しいことを、
しかも時間も長く勉強させられたものでございました。寒の中でも、九日目が
一番寒さもきびしい日とされておりましたので、この日は特に精出すことになっておりました。
(抜粋)
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さて、この寒さが厳しい「寒九」の日に
(しかも新潟ですから、その寒さといったらハンパじゃありません!!)、
わずか6歳の鉞子さんがどんな修行をなさったのか?
長くなりますので、続きはまた明日書かせて頂きます!
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