武士の教育とは、真の学問に対する姿勢とは
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昨日の記事(「大正15年、アメリカで大ヒット本を書いた日本人女性がいたことをご存知でしょうか?」)
の続きです。
武士の娘として育てられた杉本鉞子(すぎもと えつこ、1873年 – 1950年)さんが6歳の時、
新潟で、一年の中でも最も寒さが厳しいといういわれる「寒九」の日に行ったという、
お習字の寒稽古の様子です。
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この寒九の日、東雲に暁の光がさし初めますと、乳母のいしは私を起しました。
それは肌をさすような酷しい寒さでした。いしに着替えを手伝ってもらってから、
お稽古の道具を整えましたが、硯の中の水入れ、筆、墨のたぐいは
丁寧に絹の布でふいたものでありました。学問は非常に貴いこととされていましたので、
それに用います道具の一つ一つさえ、神聖なものとされていたわけでございます。
(中略)
居心地よくしては天来の力を心に受けることができないということになっていましたので、
火の気の無い部屋でお習字をいたしました。日本家屋の構造は、熱帯地方にその源を
発していますので、火鉢一つない部屋の温度は戸外のそれと変りはございません。
お手習いは長い時をかけて、入念にいたさなければならないものでございますから、
その朝すっかり指がこごえてしまいましたが、振返って、後に控えていたいしが、
紫色になった私の手を見つめて、すすり泣きしているのを見ますまで
それと気付かないのでした。
当時は、私ぐらいの年頃の子供をさえきびしくしつけたものでございまして、稽古が終るまでは、
私も動かず、いしも亦じっと附添っていたわけでございます。
(中略)
もちろん、こんなきびしい鍛練が果して必要なものであろうか等という疑問をさしはさむ人さえ
ありませんでした。が、私は余り丈夫な子供でありませんでしたので、母には時々の心配の種に
なっていたのではなかったかと思います。ある時、私は母が父にこんなことを話しているのを
聞いたことがありました。
「旦那様、余り丈夫でないエツ坊に、あんなきびしい勉強をおさせになられては、
無理ではないかと思ったりしてみるのでございますが」
父は私を膝もとにひきよせ、やさしく方に手をかけながら申しました。
「武家の教育ということを忘れてはならないよ。獅子は幼いわが仔を千丈の谷に蹴落して
獣王に育て上げるというからね。それでこそ、生涯の大事をなしとげる力が養われるんじゃないか」
(「武士の娘」著:杉本鉞子、訳:大岩美代/ちくま文庫 より抜粋)
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昨今の学校事情・・・生徒が先生にタメ口や暴言を吐き、
授業中に平気でおしゃべりをし携帯をいじり、モンスターペアレントが跋扈する。
そんな今の日本の教育現場の現状を、もし当時の人たちが目の当りにしたら、
驚きのあまり卒倒してしまうのではないでしょうか・・・・
かつて先人たちが持っていた学問に対する貴く真剣な思いから、
我々が学ばねばならないことは多々あるように思われます。
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