いやなことは人のせいにする傾向(「子どもへのまなざし」より)

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パンダ子(娘)が生まれて以来、様々な育児書を斜め読みしておりましたが、
中でもこの「子どもへのまなざし」という本は、自分は大変勉強になりました。
とにかくよく売れる本ですので、自分が子供を産むずっと前から
おなじみの表紙だったのですが、実際に読んでみて大いに納得でした。
ぜひお薦めしたい一冊です。


「子どもへのまなざし」著:佐々木正美(児童精神科医)/福音館書店

本の中に、こんなくだりがありました。
ちなみにこの本の初版は、1998年です。

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<いやなことは人のせいにする傾向>

これは、文化人類学者たちが私たちに教えてくれたことですが、
なかなかするどいことを指摘してくれています。
人間というのは、どこに住んでいても、どういう人種であっても、どこの国の人であっても、
そういうこととは無関係に、物質的、経済的に豊かな社会に住んでいる人間ほど
外罰的になる、あるいは他罰的になるというのです。
それは人間というもの、本来の特性なのだそうです。
個人差はあります、個人差がありますからいろんな人がいます。
けれども、人間というのはだれもが、そのような共通した特性をもっているのだそうです。
そして、外罰、他罰の反対語は内罰であり、自己罰です。

どういうことかと申しますと、人はなにかいやなことや不快なことがあると、
その原因をだれかほかの人のせいにしたくなる、そういうことだそうです。
これは、ものの豊かな社会に住む人のほうが、そういう感情になりやすいのだそうです。

具体的な例を申しますと、自分の幼い子どもの手をひいて、
自分の家の近所を散歩していたとします。そして、ちょっと気をゆるしたすきに、
子どもが親の手をふりきって、ちょろちょろと歩いていってつまずいて転んだ。
その拍子に、道の端にあったどぶ川に落っこちたとします。
そして洋服をよごしてしまった、あるいは落っこちたときにどぶ川の端で体をこすって、
ちょっとした傷をつくってしまった、というようなことが仮にあったとします。
こんなときに、私たちが「ああ、しまった、うっかりして子どもの手をはなしてしまった」、
「不注意をした、失敗したな」という気持ちをもてば、これは内罰です、自己罰です。

ところが、その瞬間に、このどぶ川の管理責任者は、
いったいだれなんだというふうに思ったら、これは外罰です、他罰です。
「こんな人通りの多い道端のどぶ川に、ふたをしないでおくなんて」、
「なんという行政の怠慢だ、どぶ川の管理責任者の怠慢だ」というふうに思うとすると、
これは外罰です、他罰です。

これは、経済的に、物質的に豊かな社会の人ほど、こんなことがおきたときには
外罰的、他罰的になるそうです。ものがとぼしく、貧しい社会に住んでいる人や
貧しかった時代の人は、たとえば、このように子どもがどぶ川に落ちたときには、
自分をせめるばかりでどぶ川の管理責任を問うなどということは、まず、しないでしょう。

ものが豊かになると、私たち人間はすべてのことにたいして、
そういう態度をとるようになっていくのだそうです。
これはもちろん個人差がありますけれども、ものの豊かな社会に住むということは、
私たちが自分の気持ちを外罰的、他罰的に徐々に変えさせられていくのだそうです。

(「子どもへのまなざし」より抜粋)

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「モンスター〇〇」の存在の背景には、
こんな文化人類学的見地が隠れているのだとは知りませんでした。
自分も外罰的、他罰的な方向に流れてしまわないよう、
気をつけないといけませんね(;^_^A

ちなみに本文では引き続き、
「なぜ豊かな社会になると、人間の気持ちに外罰的な面が大きくなっていくのか」
が説明されています。
ご興味のあるかたはぜひご一読いただければと思います


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