「小田野直武&秋田蘭画」展 江戸時代に東西美術を融合させた絵画
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先日(と言っても、もう3週間も経ってしまいました(汗))、
サントリー美術館の「世界に挑んだ7年 小田野直武&秋田蘭画」展に
行ってきました、面白かったです!
小田野直武(1749~80)という名前にピンと来なくても、
恐らく誰もが教科書等で、この人の絵を目にしたことがあると思われます。
「解体新書」訳:杉田玄白ほか、画:小田野直武/国立大学法人東京医科歯科大学図書館
そう、日本初の、西洋医学書の本格的な翻訳「解体新書」の挿絵を描いた人なのです!
江戸中期、秋田藩の若き武士達によって、
西洋と東洋の美が結びついた珠玉の絵画(秋田蘭画)が描かれました。
その中心的な描き手だったのが、小田野直武です。
直武は江戸時代の奇才・平賀源内(1728~1780)らとも交流を持ち、
西洋の図像や中国の写実的な画風を学び、
日本画・西洋画・中国画の要素を併せ持った独特な絵を描きました。
展覧会図録から一部紹介させていただきます!
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こちらは、秋田蘭画を代表する作品の一つだそうです。
東洋と西洋が融合した不思議な魅力がよくあらわれていますね。
「児童愛犬図」小田野直武/秋田市立千秋美術館/秋田県指定文化財
「西洋絵画から学んだ的確な陰影表現や油彩風の描写などが見られる一方、
円窓と唐子というモチーフは中国絵画や蘇州版画との近似性が指摘されている。
円窓で区切られた斬新な構造で、洋犬の前脚が円窓にかけられ、だまし絵のように
実際に奥行きがあるかのような効果を出している。(図録より)」
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鷹の絵は、武士に好まれたモチーフだったため当時よく描かれていたようですが、
直武の「鷹図」には大きな特徴があります。
素敵な鷹の絵ですが、よくよく見ると・・・
鷹の脇の小枝には、ちぎれた羽が一枚ひっかかっており、
さらに鷹がとまっている枝をよく見ると、フンが付いているんですね
鷹の絵は通常、権力者の威光や勇猛さを示すイメージが強いので、
現実的といいますか写生的といいますか、この描き方は独特だといえましょう。
「発案者ははたして曙山公か平賀源内か。あるいは特別な注文主の好尚に応じて、
その人物の愛鷹を描いた動物肖像画(ちなみに鷹狩は武芸の一ジャンル)で
あったものか。ともあれ、糞便を描きながら、高雅な品格を損なうことのない
直武の技量はみごとである。(図録より)」
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そして、有名なこの絵!
「平賀源内と小田野直武の出会い、西洋絵画と東洋絵画の融合、
芸術と科学の接近、近景と遠景の調和、様々な事象が結びついて生まれた
秋田蘭画の代表作である。(図録より)」
手前の芍薬の鉢植えは写実的な手法で描かれ(実物大の蟻も3匹、精密に描かれています)、
いっぽう池や遠景は銅版画風の細かな手法で描かれており、
遠近の対比が不思議な空間を生み出しているそうです。
また絵の解釈や制作背景を巡っては様々な説が研究がされており、
謎めいた魅力がある作品です。
後に司馬江漢(1747~1818)にもそのテイストを受け継がれることになる
「秋田蘭画」ですが・・
1779年に、秋田蘭画の理論的な指導者だった平賀源内が殺人罪で捕まり、獄死。
同時期に、直武は秋田藩主の佐竹曙山に突然蟄居を命ぜられ、翌1780年に謎の死を遂げます。
その後も秋田蘭画に関わった人達が相次いでこの世を去ったため、
秋田蘭画が画派として存続することはできなかったということです。
それにしても直武の享年は満30歳(数え年32)という若さです、
あまりに惜しまれます・・
参考文献:
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