信長の末弟・有楽斎が愛した椿の花
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先日、パンダ子(娘・2歳11ヶ月)と一緒に
皇居の東御苑をお散歩しておりました。
そこかしこに椿の花が咲いていましたが、
そんな中でもひときわ目を引いた、美しいピンク色の椿
パンダ子が、落ちていたお花を拾ってきました。
左の赤い「ヤブツバキ」は近所でもよく見かけますが、
右のピンク色の椿はあまり見たことが無く、
その美しく可憐な色に思わず見とれてしまいました。
名前は「太郎冠者」というそうです、
この清楚で可憐なお花と、狂言の太郎冠者の役どころとは
だいぶイメージの違うような気がしますが、
どうしてこのお名前なのかしら(^^)?
というわけで家に帰って早速調べてみると、この椿、
江戸では「太郎冠者」、京都では「有楽椿」と呼ばれており、
織田信長の末弟・ 織田有楽斎長益(おだうらくさいながます) が
茶席の花として愛用したことに由来しているんですね!
「へうげもの」のこの人です↓
有楽斎は、信長の弟でありながら戦国武将には向いていなかったようで、
若い頃より茶の湯をたしなみ、千利休に学んで
「利休十哲」の一人に数えられるほどの大茶匠となりました。
ところで愛知県犬山市の「有楽園(うらくえん)」という日本庭園に、
有楽斎が建てた茶室「如庵」が残っているのですね!
犬山市には何度も足を運んだことがあるのに
知らなかった・・・(←ひたすら「明治村」ばかり行っていた人)
次に犬山市に訪れた際には、必ず「有楽園」にも行きます!!
美しいピンク色の「太郎冠者」を手に取って眺めながら、
有楽斎も茶の席でこのお花を愛でたのだなあ・・と思うと、
400年の時を超えて心を共にできるような、
そんな感動をおぼえます
余談ですが、東京の「有楽町」や「数寄屋橋」の地名が
有楽斎に由来するという説が一般的に広まっているのですが、
実は有楽斎が江戸に住んでいたという確証は無いようです。
(有楽町歴史絵巻 有楽-織田信長の弟が地名の由来?)
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本日の参考文献です:
「へうげもの 7」山田芳裕/講談社
「誰も書かなかった 日本史「その後」の謎」雑学総研/中経の文庫
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