くまねこ堂・妻のブログ
赤ちゃんはもぐるのがお好き!?
カテゴリー/育児・子供/くまねこ堂通信
パンダ子(娘)がベビーベッドの中を積極的に動き回るため、
頭や足をぶつけてはいけないと
柵の内側にグルッとベッドガードを付けているのですが・・
パンダ子、なぜかベッドガードの下にもぐりこむのが大好きです(;-_-)
いつも頭を突っ込んで、ゴキゲンです(;;-_-)
ときにはそのまま寝ちゃったりもします。
正に頭隠して尻隠さず(笑)
しかしこれでは、ベッドガードの意味がない気がしますが・・
まいっか、本人が楽しいようだから、うん(;^^)
ちなみにパンダ子は4か月になりました、だいぶ首が座ってきました!
違うと猫に叫んでみても
カテゴリー/当店の癒しの看板猫
ついに・・・・・・
ついに気づかれてしまいました・・・・・・
ベビーカーが、猫にとっても
心地よいプレイスであることに!!
。゚(゚´Д`゚)゚。
チガ―――(゜Д゜)―――ウ!!
うーん困ったな、いちいち折りたたむの
めんどくちゃいんだよなー・・・(* p_q*)シクシク
だるまの由来が結構怖い・・
カテゴリー/出張買い取り/骨董品・古いもの/くまねこ堂通信
達磨さんの置き物が入荷しました。
でも、一緒に付いていた台が一部壊れていたので、
ひとまず車の荷台に腰掛けてお待ちいただき、、、
ああ~、達磨さんごめんなさいね、
ちょっとお待ち下さいね~
そしてアルバイトのニーミン(♂)が、
壊れていた台を直してくれました!
よかったですねえ~、これで落ち着きますね、
見栄えも違いますしね!
ちなみにウィキペディアで見てみましたら、
達磨さんは「中国禅宗の開祖とされているインド人仏教僧」なんですね。
へえ~、インド人なんだ、てっきり中国人かと思ってました
そしておなじみの縁起物の「だるま」は、
達磨さんが壁に向かって9年座禅を続け、手足が腐ってしまったという伝説から、
この手足のない形状で置物が作られるようになったという・・・
・・え、ちょっと怖いんですけど・・
赤ちゃんと猫ズ
カテゴリー/当店の癒しの看板猫/育児・子供
どうやら、もえにゃんとシュガーくんは
赤ちゃんとは一定の距離を保つことに決めているようでして、、、
いつもこれくらいの距離を保っています(;^^)
赤ちゃんは突然手足をバタバタしたり大音量で泣き出したりしますから、
警戒して上手に距離を置いている模様です、
ベビーベッドの上にも決して上がろうとしません。
パンダ子(娘)が生まれる前は色々心配もしていましたが、
それはまったくの杞憂に終わりました。立派です、猫ズ!
パンダ子(娘)が大きくなって一緒に遊べる日が、早く来るといいね!
尾崎谷斎(紅葉の父)の煙管筒 パート2
カテゴリー/くまねこ堂通信
さて、前回の記事でご紹介いたしました、鹿角の煙管筒。
これは根付師・尾崎谷斎の手によるものですが、
谷斎は明治文壇の巨匠・尾崎紅葉の父親でございます。
ここに「明治粋人奇人談」(著:吉村武夫/ちくま文庫)という本があるのですが、
この中で尾崎谷斎のことが取り上げられています。
—————————————————————
名人谷斎は奇行の人だった。なぜか外出の時、着物は当時流行の唐桟織で、
その上に赤い羽織と赤い頭巾を身につけていた。
円太郎馬車にも乗らず、尻はしょりで杖をつき、明治座や新富座などの芝居小屋や、
回向院の角力(すもう)小屋に出かけて行った。
小屋はどこでも木戸御免で、「福の神が来た」と喜んで招じ入れた。
谷斎は枡の間を往ったり来たりして、知合いや馴染の客を見つけ、
酒の相手をしたり芝居の軽い批評や取組の話などしてはご機嫌を取り結び、
小遣銭をせしめた。
このように幇間のようなまねをする谷斎を、「谷斎坊主」と蔑視する人もあった。
しかし人づき合いもよく、小さなことに気もつき、詩や歌も解し、書画、茶の湯も
一応おつきあい程度は出来たので贔屓筋からは可愛がられた。
飄飄とした人柄が愛され「谷斎がいないと淋しい」と座敷や湯治に
連れて行かれたこともあった。
幇間じみた素行と職人肌の、二つの性行の変人であった。
(抜粋)
————————————————————–
紅葉は、父・谷斎のことを快く思ってはいなかったようです。
紅葉は4歳のときに生母を亡くし、
その後は母方の祖父母に預けられ育てられたといいますから、
それも無理のないことかもしれません。
ちなみに谷斎の死因は、河豚(ふぐ)だったそうです。
—————————————————————
明治三十年頃、銀座のも組の組頭三橋竹松と、
初代のステテコ踊りの三遊亭円楽と仲が良く、誰が言い始めたのか、
品川沖に網打ちに出かけた。気の合った者同士の舟遊びは楽しかった。
捕った魚を船頭に料理してもらい、舟の上で食べたが、その中に河豚があった。
その夜、三橋竹松が死んだ。三橋の家内は、他の二人はどうかと
若い衆を谷斎の所にやった。その時谷斎は手足が痺れ、
舌がもつれて七転八倒している最中で、かけつけた医師も近所の人も
うろたえているところだった。谷斎も、その次の日に死亡した。
(抜粋)
—————————————————————-
ところで、私がこの「明治粋人奇人談」という本を初めて読んだのは
2年ほど前のことでしたが、
その時はまさかこの谷斎の実際の作品が自分の元に入ってくるとは
思ってもいませんでした
何が入ってくるかわからない、まさかと思うような物まで入ってきちゃう、
これがくまねこ堂でのお仕事の一番の面白さであります
尾崎谷斎(紅葉の父)の煙管筒
カテゴリー/骨董品・古いもの
入荷品のご紹介です。
尾崎谷斎(こくさい)による鹿角(かづの)の煙管筒です、
中には実際に煙管(キセル)が入っていました。
(この煙管筒については、すでに骨董ブログのほうで
キョーコさんが詳しく紹介して下さっています
https://www.kumaneko-antique.com/blog/1398/ )
尾崎谷斎は江戸~明治期に人気があった根付師ですが、
あの「金色夜叉」で有名な尾崎紅葉のお父さんなのでございます
そのことについては、次回詳しく触れてみたいと思います。
パンダ子伝説(笑)
カテゴリー/育児・子供/くまねこ堂通信
さて、パンダ子(娘)を語る上で欠かせないのが、
出産時のエピソードでございます。
パンダ子は妊娠8か月ごろからずっと頑固に逆子だったため
予定帝王切開での出産となりました。
手術をして下さったドクターによりますと・・・
ワタクシのお腹を開きましたところ、
なんとパンダ子はワタクシのお腹の中でちょこんと
正座をしていたそうでございます ∑( ̄∀ ̄;)
そして早くも、
自分の腕をちゅっちゅくちゅっちゅく
吸っていたのだそうです ∑( ̄∀ ̄;;)
(私も手術中、ドクターたちが
「この子、もう腕吸ってるよ!!」
「ええっ、早すぎでしょー!!」
と驚いているのが聞こえました(笑))
正座してちゅっちゅく・・・
この2つの意味するところは、
礼儀正しい食いしん坊さんに
育つということでしょうか(; ・`∀・´)??
ちなみにワタクシ、もし本人がイヤがらなければ、
いずれ一緒にお能を習いに行きたいというのが
妊娠中からの夢だったので、
正座して生まれてきたこの子なら、その夢を叶えてくれるかも!!
と、希望に胸が膨らみます(笑)
当店のアルバイトさんがTV出演!
カテゴリー/くまねこ堂通信
当店のアルバイト、ニーミンは
お笑い芸人の卵さんなのですが、
そのニーミンが明日、テレビ朝日のTV番組に出演するそうです!
———————————————————
「ドラえもん知識王No.1決定戦!ワイルドカード出場者は誰だ!?超ガチンコ事前予選SP」
2014/7/26 14:45 ~ 16:00 テレビ朝日
番組内容:
8月1日(金)夜7時54分から放送の『ドラえもん知識王No.1決定戦スペシャル』は、
“ドラえもん愛”にあふれた芸能人が集結し、
『ドラえもん』の様々なクイズに解答していくクイズバラエティー!
そのワイルドカード1枠を争う予選の模様をお届けします!
のび太、しずかちゃん、ジャイアン、スネ夫などキャラクターを徹底的に知るクイズや、
ひみつ道具の“意外な秘密”がわかるドラえもん雑学が続々!
さらに超貴重映像大公開!
——————————————————————-
ドラえもんが大好きなニーミン、
果たしてワイルドカードに勝ち残れるでしょうか!?ドキドキ(><)
ちなみに当店も、
「ドラえもん」の1巻(再版)・2巻(初版)・3巻(初版)と、
トキワ荘の天井板を提供させて頂きました、
実際に番組に使って頂けるかどうかはわかりませんが(;^^)
「没後90年 鉄斎 TESSAI」展に行ってきました
カテゴリー/レジャー
赤ちゃんを母(現在休養で鹿児島から上京中)にあずかっていただき、
「没後90年 鉄斎 TESSAI」展に行って参りました!
水墨山水が表す、大自然の気に満ちた桃源郷が、
現実社会の喧騒をいっとき忘れさせてくれます。
——————————————————————
幕末・明治・大正と激動の時代を生きた富岡鉄斎(1836~1924)は、学問の道を志し、
儒学者として大成する傍ら、書画の制作に勤しみました。
当時の東西画壇においては、西欧化が次第に進む中で、
鉄斎は先達文人たちが遺した想いに共感し、
たくさんの書物を通じて学び得た世界観を、自らの絵筆により描き出したのです。
そして若き頃から日中のさまざまな書画の優品にふれ、それらの画法に倣った鍛錬の成果が、
最終的にはこれらの諸要素が見事に混ざり合って、独自の画境を築くに至っています。
(図録より抜粋)
——————————————————————-
「口出蓬莱図」明治26年/58歳
口の中から神山を現出させるという仙術が描かれているそうです、
豪快で迫力のある絵でした。
後ろで真似をしている様子の童子も微笑ましいですね(^^)
——————————————————
「放牛桃林図・太平有象図」明治時代/70歳代
実物は六曲一双の大きな屏風絵ですので、
写真の部分は絵のほんの一部分なんですけれども。
のんびりと群れをなす牛さん達が、とてもとても可愛くて
「モオォォォ~~」というのどかな声が聞こえてくるかのようでした。
咲き誇る桃の木々も美しかったです。
————————————————————
「看山清談図」明治時代/40代
水墨山水は、科挙制度を勝ち抜いた中国の士大夫(超エリートな方々)たちが
隠棲にあこがれ、理想の桃源郷を描き出したという意味合いがあったそうです。
二人の友が座り(画面下)、人もほとんど来ないような雄大な自然に囲まれながら、
時を忘れて心ゆくまで語り合う。
多忙を極めた士大夫たちにとって、こういった絵を見る(あるいは描く)ことは、
厳しい現実社会をほんの一時でも忘れられる、癒しのひとときであったわけですね。