くまねこ堂・妻のブログ
超絶技巧の根付師・森田藻己の弟子、深井藻壽(1)
カテゴリー/出張買い取り/遺品整理/骨董品・古いもの昨年の某月某日のことです。
出張買取り先で、お客様からこちらのたれをおみやげに頂戴いたしました。
「美味だれ 焼鳥屋 鳥幸の味」という名の、それはそれは美味しいタレで、
大変ありがたく頂戴いたしました、どうもありがとうございました!
ところで。
このタレは「信州上田に愛され続ける秘伝のたれ」・・・
そうです、くまきち(夫)は、はるばる長野県まで
買取りに行ってきたのであります!
長野には不思議とご縁がありまして、
今までも確か4回出張買取りに行っているのですが、
この時も大変思い出深い経験となりました。
今日から数回に渡り、ぜひ気合を入れてご紹介させていただきます。
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少しだけ前フリを。
明治から昭和初期にかけて、まるで神業のような数々の細密彫刻作品を残した
根付師がおりました。その名を森田藻己(もりたそうこ 1879~1943)と言います。
記録に残っている中では、森田藻己の流れを汲む「藻一派(そういっぱ)」の
最後の一人となったのが、
深井基寿(ふかいもとじ 1918~2005。後の藻壽(そうじゅ))という人
だったようなのですが、
買取りのご依頼主様は、この深井藻壽氏のご親族のかたでした!
(ご親族によれば、藻壽氏は2005年4月にお亡くなりになられたそうです。)
(系図は「骨董緑青35 近代彫刻の神技 森田藻己の世界」より)
森田藻己は、過去に何度か当店に作品が入ってきたこともあり、
くまきち(夫)が個人的にも好きで興味を持っている根付師であるため、
その藻己の弟子となられたかたのご親族に呼んでいただけたのは
感無量であったようです。
(続きます)
池上彰&佐藤優「僕らが毎日やっている最強の読み方」
カテゴリー/出張買い取り/遺品整理/骨董品・古いもの/くまねこ堂通信本日は、
「僕らが毎日やっている 最強の読み方」池上彰、佐藤優/東洋経済新報社
を紹介させていただきます
ジャーナリストとして世界中を飛び回り、たくさんのTV等の仕事をこなしながら、
毎日11紙の新聞などに目を通し、毎月18回の締め切りを抱える池上彰氏。
毎月平均300冊以上の本に目を通し、毎月90近い締め切りを抱えているという
佐藤優氏。
・・なんというかもう、こういう方たちは
天才の域だと思われますので(∥°∀°)フフフ‥
自分のような凡人とはあまりにかけ離れていると思いつつ、
発売前から読むのを楽しみにしておりました(笑)
新聞・雑誌・ネット・書籍・教科書&学習参考書など、
他範囲に渡る読み方や使いこなし方が網羅されており、
知の巨人たちの毎日の情報収集のスキルが
対談形式でわかりやすく、惜しげもなく披露されていました。
大半はお2人の凄さに舌を巻くばかりでしたが、
ごくごくわずかながら「あ、これは自分もやってる!(≧∀≦)」と
勇気づけられる箇所もあったり、
大変勉強になる上に、知の巨人たちの人間味も垣間見られたりして
(佐藤優氏の猫バカぶりですとか・・)面白かったです!
あと意外だったのが、佐藤氏の
「池上さんは情報の真偽を判断するうえで、
何か基準をお持ちですか?(中略)何か特別な訓練法があるのでしょうか?」
という問いに対して、池上さんが、
「『だまされないための訓練』という意味なら、良質なミステリー小説を読むのが
おすすめです。」
と答えておられたことです。
古本屋妻としては思わず「へえ~~~!」と嬉しくなってしまいました(笑)
池上さんが新人記者時代に、先輩の大変な特ダネ記者にもらったアドバイスが
「(松本)清張を読め」で、清張がきっかけでミステリーファンになったという
エピソードなど、面白いですよね
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本日の買取りでは、2000点以上のDVDや、
希少な海軍士官の軍服、園遊会と観艦式の招待状(戦前)など
お譲りいただきました、どうもありがとうございました!
吉原で花魁が使用した行李だそうです
カテゴリー/東京都/出張買い取り/骨董品・古いもの/くまねこ堂通信
おととい、昔の遊郭に関わりのあったお宅から買い取ったお品です。
昔、吉原にあった「正直楼」という遊郭で、
明治~大正時代に花魁が着物などを入れるのに使っていた行李なのだそうです。
珍品ですね。
裏側は背負子(しょいこ)になっており、
火事になったときには背中に背負って逃げることができるのだそうです。
中は、茶箱のような密閉性の高いつくりになっています。
そして下部には車輪が付いており、コロコロ転がして移動することも
できるようになっています。
意外と便利に作られているんですね。
美しい歌声?いえ実は・・
カテゴリー/育児・子供/くまねこ堂通信
まるでパンダ子(娘)が、美しい歌声を響かせているかのような
ステキな写真が撮れたのですが・・
実はこれ、今日お散歩をしている最中に雪が降ってきて、
「雪を食べる!」
と言って大口を開けているところなんです!
しばらく口を開けて歩き回ってはモグモグし、
「甘くておいしかった!」
と満足しておりました、いやあ面白いですねえ(笑)
雪はほんのちょっぴりしか降らなくて残念でしたけど、
ちゃんと楽しむことができてよかったです!
今日くまきち(夫)は東京都杉並区荻窪で出張買取りでした、
どうもありがとうございました。
久々の恨み手帳ですよ・・
カテゴリー/くまねこ堂通信
1週間前のことです。
なんだか目に違和感を感じ、鏡で念入りに見てみますと、
右目の黒目の部分に小さな白い点が見えました。
「はて・・・」
気になりつつ、まあ少し様子を見ようと1週間待ってみましたが、
状況はまったく変わらず。
そこで、昨日くまきち(夫)にパンダ子(娘)をあずけることができたので、
眼科に行ってみました。
診察によると、黄色ブドウ球菌による角膜感染症ということで、
2種類の目薬を1日4回点眼し、一週間後にまた診察して様子を見ましょう
ということに相成りました。
コンタクトレンズをしている人によくある感染症なのだそうです、
レンズのケアが不適切だったりすると起こりやすいんですね、
残念ながら私も思い当たる節があります・・
この感染症は強い痛みを伴うこともあるそうで、
先生に「痛みが無くてラッキーでしたね!」
また「よく気が付きましたね」とも言われました。
自分のように痛みが伴わない場合、なかなか気が付かずに
症状が進行してしまうことがあるそうで、
とりあえずは早く気が付けてよかったです (〃´д`)=3
ワタクシはコンタクトレンズ歴約25年、
今までケア等もきちんとやってきてトラブル皆無でここまできたのですが、
ここにきて油断してしまいました、嗚呼・・・
コンタクトレンズをお使いの皆様方、
どうぞ油断せずくれぐれもご用心下さいませ
・・・ところで、
目の異変に気付いてくまきちに見せたときに、開口一番、
「加齢でしょ?(・ω・)」
と言われたことをアタシは忘れませんよ・・
ええ忘れません、恨み手帳に書いときますよ・・
___φ(。_。キ) ((((゚ω゚;;))))ガクガクブルブル
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今日も、くまきちは面白いところに買取りに伺ったようです。
買取り2件だったのですが、偶然にも2軒とも
昔の遊郭に関わりのあったお宅だったそうで、奇遇さに驚いてしまいます
歴史のあるお宅ですから、色々と面白いものをお譲りいただいたようです。
錦絵(三代豊国)、伊東深水の美人画、刺子半纏、
花魁が着替えた着物などを入れる行李、煙草入れ、
御贔屓のお客様の色紙(吉川英治・松林桂月・今村昌平など)、
リヤドロ、マイセン、リトグラフ(上村松篁)などお譲りいただきました、
どうもありがとうございました!
子供の探求心は、ズボッ
カテゴリー/出張買い取り/骨董品・古いもの/育児・子供買取りで、小さな獅子舞のおもちゃが入ってきました。
手に持って、プルプル振って遊びます。
口はパカーッと大きく開きます!
さっそくパンダ子(娘・2歳)に試してみたら、
案の定キャッキャと笑って大喜び!
くまきち(夫)、いい笑顔だな~
そしてお父さんからゲットしたと思ったら、
いきなり獅子頭の口に指を突っ込むパンダ子!
子供らしい探求心ですね~
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今日は正阿弥勝義と加納夏雄が買取りで入荷しました!
事情により、商品画像はお載せできないのが残念ですが・・
それとおとといは、千葉工大の先生のところで買取りだったそうで、
また色々と興味深いお話を伺えたそうです、どうもありがとうございました!
なんだか最近は大学教授のかたの買取りが多いですねえ、
大変ありがたいことでございます。
しかしくまきち、いいなあ!
色々な分野の講義を、タダでちょっぴり拝聴できるようなものではないですか、
なんとうらやましい・・!! [壁]д°) ジー (*´ω`*)エヘッ
伝法な蔦屋重三郎がかっこいい!
カテゴリー/本・古本・古書/くまねこ堂通信本日は、「蔦重の教え」著:車浮世、飛鳥新社 をご紹介させていただきます
タイトルの蔦重(つたじゅう)とは、
喜多川歌麿や東洲斎写楽の浮世絵を出版したことで知られている
江戸時代の有名な版元、蔦屋重三郎(寛延3(1750)年~寛政9(1797)年)の
ことでございます!
蔦重が颯爽と登場し、続いて歌麿も重要な役どころで現れ、
さらにアノ人やアノ人など超有名な浮世絵師たちも出てきて、楽しかったです!
そしてこの小説のユニークなところは、
現代のしがないサラリーマンのおぢさんが
なぜか江戸時代にタイムスリップしてしまい
敏腕プロデューサー・蔦屋重三郎から人生やビジネスに関する様々なことを学び、
やがて新たなセカンドライフ(第二の人生)へと道を踏み出す・・
そんな設定になっているため、本書にはビジネス書の要素も多く含まれております。
たとえば、
・人生は知恵比べ。考え抜いた方が勝つ
・気の合わない人間ほど丁寧に接する
・断る可能性が高い誘いはすぐに断る
・進言は素直に聞く
・物や場所にも挨拶をする
・何かを捨てなければ、新しい風は入ってこない などなど、、、
そのため、エンターテイメント小説として楽しめるだけではなく、
蔦重や歌麿の言葉に「うんうん、なるほど」と勉強になったり、
自分が励まされているような気分になる所もありました
しかし蔦重の、伝法で切れ味の良い口調と、
エネルギッシュで胸がすくような敏腕商人ぶりは、本当にかっこよかったなあ!
これからは浮世絵関連で「蔦屋重三郎」の名前を見るたびに、
この魅力ある蔦重の口調がパッと浮かんできそうです
猫の薫陶を受けて箱入り娘?
カテゴリー/港区/東京都/出張買い取り/当店の癒しの看板猫/育児・子供/三鷹市
台所で料理をしていると、よく後ろでゴソゴソと音がします。
パンダ子(娘・2歳9ヶ月)は、箱に入るのが好きです!
自分でペットボトルを(勝手に)出しては、よくギュムギュム入っています。
小さい子ってみんなこうなんでしょうか、
それとも、おじいにゃんの薫陶を受けているのでしょうか
寒い毎日でホットカーペットが離せませんが、
おかげさまでおじいにゃんも元気です!
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昨日は東京都港区赤坂で
(解体屋さんのご紹介でした、どうもありがとうございました!)、
本日は東京都目黒区青葉台と東京都三鷹市井の頭で出張買取りでした、
どうもありがとうございました!
日本写真界のパイオニア、下岡蓮杖の直筆水墨画の入荷です
カテゴリー/古い紙物類/骨董品・古いもの/くまねこ堂通信
また興味深いお品物が入荷いたしました。
この水墨画、いったい誰の絵かといいますと・・?
下岡蓮杖(しもおか れんじょう・文政6(1823)年~大正3(1914)年)という、
日本最初期の写真師が描いた絵なんですって!
「東の下岡蓮杖、西の上野彦馬」と呼ばれ、
彦馬と並んで日本写真界のパイオニアとして知られております。
(偶然にも同じ文久2年に、彦馬が長崎で、蓮杖が横浜で、
文明開化の新業種である写真館を開設したのだそうです)
↓ 蓮杖の肖像写真、40代の頃
↓ 台紙裏に押された、蓮杖の印。
しかし写真館を開業したものの、最初は順風満帆とはいかなかったようです
さて開業はしたものの、写真を写せば寿命が縮む、
魂を吸い取られるという時代であるから、
長崎の上野撮影局同様、日本人の客は現れず、まして、女性の客は全く少なく
どうしても居留地の外国人、または外国船員などが多かった。
蓮杖は外国人を喜ばせるため、いろいろの試みをした話が残されている。
蓮杖はなかなかのアイデアマンだったようで、とくに外国人の異国趣味に迎合して、
少女をモデル代わりに一緒に撮影するとか、外国人客に着物を着せたり、
裃姿やさらには鎧を着用させての撮影、また写場の背景を座敷風に作り、
外国人客の希望によって屏風の傍らに石灯籠を据えて写したりもした。
後年、欧米で日本の風俗紹介に誤解を与えたのは、これら海外への
土産物写真が原因で、「多く是に胚胎せり」(写真事歴)と記されている。
(「保存版 古写真で見る幕末・明治の美人図鑑」より)
↓ 馬車道にあった、蓮杖の写真館。
「全楽堂」「相影楼」の額、
コーナーに「PHOTOGRAPHER RENJIO’S BRANCH HOUSE」、
2階に「PICTURES UP STAIRS」の文字。
蓮杖は狩野薫川(かのう とうせん。?-1871)に絵を学び、
明治9(1876)年に写真業を廃した後は、書割りやパノラマ画を製作・販売、
晩年は家業を息子に譲り、自分は主として絵画の制作に入ったそうです。
ちなみに今回入荷した水墨画は、
蓮杖が79歳の時の作品だと判明しておりますので、
すでに家業を譲って悠々自適の頃に描かれたものなんでしょうね。
そしてこの水墨画には、もう一つ注目すべき点がありまして、
中川紫郎(なかがわ しろう・明治25(1892)年~昭和33(1958)年)という
映画監督が所有していた物なんですね!
この方は、帝国キネマという、第二次世界大戦以前に大阪に存在した映画会社の
創立期の大監督なのだそうです、へえ~~
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本記事の参照文献はこちらです:
「幕末日本の風景と人びと フェリックス・ベアト写真集」
横浜開港資料館編、明石書店
「保存版 古写真で見る幕末・明治の美人図鑑」著:小沢健志、世界文化社
「セピア色の肖像 幕末明治名刺判写真コレクション」
著:井桜直美、英文:トーリン・ボイド、日本カメラ博物館監修
朝井まかて「恋歌」~なぜ水戸藩は表舞台から消えてしまったのか
カテゴリー/東京都/出張買い取り/練馬区/くまねこ堂通信本日は、朝井まかてさんの「恋歌(れんか)」をご紹介させていただきます。
本作は直木賞受賞作ということですが、実際に読了してみて、
ああこれは本当にすごい本だ・・と思いました。
主人公は、樋口一葉の師として知られる歌人・中島歌子です。
時は幕末、商家の娘に生まれた歌子は一途な恋愛を成就させ、
18歳のときに水戸藩の藩士・林忠左衛門以徳(はやしちゅうざえもんもちのり)の
もとに嫁ぎます。
しかし時代は、歌子に過酷な運命を課しました。
当時水戸藩の中では「天狗党(尊王攘夷)」と「諸政党(保守派)」が
対立しており、やがてその抗争が激化。
藩内で二派に分かれて凄絶な弾圧・報復が始まり、
その対象は男性達だけでなく何の罪もない妻子達にまで及び、
歌子も劣悪な牢屋敷に投獄されることになります。
・・このあたりの描写は、読んでいてとても辛いものでした。
朝井まかてさんの作品にはいつも、
全体を通して温かい慈愛のようなものを感じるのですが、
しかしこの場面では、このように残酷で悲劇的なことが
現実に起こったであろうことを読者(後世)に伝えたいのだという、
強い覚悟のようなものすら感じました。
「本書が第150回直木賞を受賞した際、選考委員の浅田次郎氏は、
『幕末期の水戸藩といういわば時代小説の不可触領域に踏み込んだ、
勇気ある作品』と讃えた。
不思議に思ったことはないだろうか。水戸藩といえば古くからの尊皇派、
桜田門外の変を起こし幕末維新の火蓋を切った藩である。
ところが明治政府の顔ぶれの中に、水戸藩士の名前は思い浮かばない。
なぜ水戸が表舞台から消えてしまったのか。その答えが本書にある。
薩長のように志を遂げたわけでもなく、会津のように戦って散った
わけでもない。他の藩が新政府と幕府に分かれて戦っているとき、
水戸は藩の中で仲違いをしていた。班内が敵味方に分かれ、殺し合い、
維新後には中央政府に送れるような人材が残っていなかったのだ。
(解説より)」
このような幕末の水戸藩の歴史を、
自分はまったく知らなかったので衝撃を受けました。
また、明暦3(1657)年から明治39年(1906)年まで
250年(!)もかけて完成したという(『大日本史』の編纂と完成)、
徳川光圀が始めた有名な「大日本史」の編纂事業が、
いかに水戸藩の財政を圧迫し続けたかということも、
本書を読んで初めて知りました。
最後はまかてさんらしく、救いのあるエピソードで幕切れになっており、
読み終わった後は本を閉じてほう・・と息を吐きました。
大変読み応えのある、心を打つ作品でした。
しかしこういう本を読むといつも痛感します。
愛する家族と共に平和に毎日を過ごせるということ、
ただもうそれだけで、どれほど幸せなことなのだろうかと。
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本日は、東京都練馬区で出張買取りでした。
築90年(!)の古いお宅だったということです、
中国の古い掛け軸などお譲りいただきました、どうもありがとうございました!